ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ありがとう

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なんとか就職できた。
小さな会社だけど、安い給料ではあるけれど、やっと社会人として歩き出せる。

小さなマンションの部屋には、宅急便の配送カバーの中に入れたままのキャディーバッグが立てかけてある。
一つの夢は破れて、一つの夢が始まる。
実家を遠く離れての社会人生活は、全く新しい生活。
今現在、そこに「ゴルフ」はない。

中学時代に、父に連れられて行った練習場。
そこでレッスンプロに才能を見いだされて、本格的にゴルフを始めた。
高校時代には、地方の小さな試合だけれど、上位入賞を続け優勝も何度かした。
期待されて、ゴルフで大学に推薦入学した。

そうしてゴルフを続けるために、普通の会社員だった父は、自分のゴルフをやめて会員権を売り、車も手放して全面的に協力してくれた。
私の試合の結果に、家族で一喜一憂してくれた。
当然、将来はプロになって父が自分にかけてくれたものを、倍にして返してあげるつもりだった。

大学に入ってゴルフ部に入り、プロになるために力をつける...つもりだった。
しかし、甘くはなかった。
同じゴルフ部のほとんどの人は、普通の家庭よりずっと裕福な人が多く、練習したければ強くなりたければ、余計に金のかかる世界だった。
奨学金と実家からの仕送りだけでは、とても試合のレギュラーになるための練習代にも足りなかった。
勿論バイトもして、出来る限りの努力はしたつもりだったけど...とうとう大学ではレギュラーにはなれなかった。
スコア的には上位の力はあったと思うが、アマチュアの試合に多い「マッチプレー」に弱かった。
「ここ一番」の勝負には殆ど勝てなかった。
マッチプレーの、「相手の弱みをとことん突く」とか、「溺れかけた人間を更に上から押しつぶす」...そういう気持ちになれなかった。
...「相手の不運を願い、喜ぶ」勝負に徹しきれなかった。
マチュアの試合でそうなんだから、自分はとてもプロではやって行けないと早い段階で自覚するより無かった。
ゴルフには、辛さの方が大きくなって、少しも楽しめなくなっていった。
父にそんな事情を報告し、3年でゴルフをやめると言った時には、「お前に悔いが無ければ、それでいいんだ」と言ってくれた。

大学3年から必死で就職活動をして、故郷から遠く離れた東京で、やっと小さな会社に就職出来た。
ゴルフする余裕はもう無いだろうと、ゴルフの道具は全て実家に置いて来た東京だった。

...ある日、宅急便で自分のゴルフバッグと靴や服が送られて来た。
バッグのポケットには、「そのうちにする機会もあるだろう」と父の字で書いてある手紙が入っていた。

まだまだ仕事にも東京暮らしにも慣れて無いし、ゴルフをする気持ちは全く無い。
今はまだゴルフは「楽しい」よりも、「辛い」という気持ちの方が大きい。
キャディーバッグは送られて来た時のまま、部屋の隅に立てかけてある。

そういえば...卒業して東京に来た後、母から「お父さん、久し振りにゴルフをしに行ったのよ」と聞いた。

あと5年もしたら、自分もまたゴルフをしたくなるかもしれない。
そうしたら、父と一緒にラウンドを楽しめるかもしれない。

そうしたら、
そのスタートホールのティーグランドで、改めて「父さん、どうもありがとう」って言うつもりだ。

...きっと父は、そのティーショットをミスするはずだ。