ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

メリーさんのブログ「メリーのゴルフ奮戦記(終の住処)」12月8日の記事から

このブログ記事は、私が愛読しているメリーさんのブログ「メリーのゴルフ奮戦記(終の住処)」の12月8日の記事「Greed/ジョン・ラーム・ラーム、LIVゴルフへ」を読んで書いたものです。
(...以前からこのLIVの動きにはうさんくささを感じていて、この連中の「ゴルフもどき」を見たいなんて気持ちは全く無いんだけど...)

ましてや「自分がプレーして楽しむ」なんて部分が危機に瀕していると、普通のプロの試合なんか全く別世界の話。
そこにメリーさんの記事中に「ダスティン・ジョンソン」や「ブライソン・デシャンポー」なんて名前が出て来て、「2年経って、人々は二人がいないことに慣れてしまった。ラームも例外ではないだろう」と書いている。
全くもって同感だ。
ダスティン・ジョンソンもブライソン・デシャンポーもまだ十分に若く、そのパフォーマンスをまだまだ発揮出来るであろう時に、そのゴルフ史に残るはずの輝ける個性と歴史に自ら蓋をしてしまった。
オイルマネーの大金を得たであろう代わりに、その全盛期のプレーや伝説を廃油缶に捨ててしまったのだ。
だから彼女の書いている通り、今の普通のゴルファーの感想は「そんな奴がいたねえ」程度しか残らないのだ。
彼らの伝説は、もうそれだけで終わってしまった。

俺の穿った偏見で一杯の見方では、これはなんだかグレグ・ノーマンの復讐なんじゃないかと思えてしまう。
つまり、彼は欲しくてしょうがなかったマスターズの優勝にとうとう届かなかった。
マスターズに勝つという事は、プレー可能な限り永久にマスターズに参加できる権利を貰うということ。
それはゴルフで一番の祭典にずっと自分が存在出来るということで、すべてのゴルファーの夢だろう。
ノーマンは86年マスターズでは「ジャックイズバック!」の大盛り上がりの中、ジャック・ニクラウスに逆転負け。
87年のマスターズでは、地元のラリー・マイズの「奇跡のチップイン」にプレーオフで負け。
96年には最終日6打差の首位でスタートしながら、78を叩いて自滅してファルドに敗逆転負け。
97年には病み上がりのオラサバルに競り負け....と、普通ならまず優勝出来るだろうという状況をことごとく逃して、その競技人生を終えたゴルファー...
彼は勝てなかったとは言えこのたくさんの名勝負の当事者として、マスターズの「招待選手」として呼ばれてもいいんじゃないかと言う世間からの評価を受けながら、結局マスターズ委員会は彼を招待しなかった。
,,,こういう仕打ちにノーマンは、PGAやマスターズ委員会や自分を評価しなかったツアーに対して復讐しているんじゃないか...とか。


ま、それは無いにしても、「ショットガンスタート」「チーム」「3日間競技」...そのどこにも興味が見出せない。
賞金はオイルマネーで巨大なものになると言っているが、それは参加するプロの賞金獲得合戦で、そこにゴルフのなんのロマンも感じない。
一番ホールからコースの名設計家達によって考えられたストーリーもドラマも無く、ただ当面のホールの数字を少なくするだけの競争に、見ている人間は何を感動すればいいんだろう?
まるで運動会の「玉入れ競争」程度のゲームを「ゴルフ」とは言わないんじゃないか?

俺がそんな賞金の取り合いを見て楽しむことは無いから、全く縁のない話なんだけど。
これから全盛期を迎えるゴルファーには、実にもったいない話だと思う。


追記
誤解する人はいないと思うが、グレグ・ノーマンに関する部分は冗談。
オイルマネーをバックに、「PGAと共倒れになるような」やり方を強引に推し進めるノーマンの「なんか恨みでもあるんか?」の気持ちを、俺が勝手に想像して書いたもの。

真面目に考えると、ある程度の成績を残した一流プロゴルファー達は、毎年0から始める賞金の奪い合いに疲れ果て、プロ野球・サッカー・バスケットボール・フットボールと同じように「契約金と年俸」の世界に憧れているんじゃないだろうか?
いくら前年稼いでも、怪我や不調によって成績が悪ければ結果が0ではなく巨大な赤字になる現在の生活より、他のプロスポーツの様に不調でも巨額の契約金と年俸が安定した収入となる生活をしたい、と。
LIVは、巨大な契約金で其処をついたのではなかろうか?と。

オイルマネーが消えれば一瞬で消える砂上の楼閣なんだけど。)