ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

99歳9ヶ月

f:id:ootataki02:20210707184551j:plain

昨日、義理の母が亡くなった。
うちの奥さんの義理の母...つまり、うちの奥さんにとっても「育ての母」と言う事で、実の母ではなかった人。
耳が遠かったために意思の疎通が難しかったが、最後までボケてはいなかった。

俺と奥さんが若くして(俺にとって全く予想外の若い年齢で)結婚したのも、初めて彼女の家に挨拶に行った時に彼女の父親に「結婚する気が少しでもあるなら、すぐに結婚しなさい」と強く言われたからだった。
続けて「この娘はなるべく早く家を出た方がいいから」と話した理由が、この母親との関係だった。

少女漫画のように「継母からいじめられた」という訳では決して無く、母親自身が実の娘である奥さんの妹と差別なく公平に接しようとしたし、妹というのも姉思いの優しい娘で差別されるような関係をすごく嫌がっていた。
だが、父親によると「世間からは悪く言われるような差別は決して無かったが、情で実の娘と先妻の娘で差が出てしまうのはしょうがない」という部分で、「早く家を出て別の幸せになる道を探したほうがいい」とずっと思っていたと言う。

「30までになんとか食えるようになったら、結婚を考える」なんて思っていた俺は、そんな事情でまともに食える仕事も無いまま、急遽24歳という若さで結婚することになってしまった。
(結果として、俺はこの時に結婚してなかったらその後の人生に、まず結婚なんてチャンスは無かっただろうし、本当に運が良かったと感謝している。)

やがて義理の母は妹夫婦と一緒に父親の残した家に住み、うちの奥さんは年に数回この「実家」に母親に会いに行くことを続けて来たが、うちの奥さんは自分を育ててくれたことを本当にずっと感謝し続けていた。
妹も優しい女性なので、姉妹の関係はずっと変わらず良い状態が続いている。

ここ数年はうちの奥さんの病気やコロナのせいもあって、年に1〜2回も会うことは難しかったが、電話や贈り物のやりとりで付き合いは続いていた。
以前から耳が悪くてこちらの言うことが伝わり難かった上に、最近は伝えようとする努力も面倒になった様子で、コミュニケーションには苦労するようにはなっていた。

...しかし、99歳と言う年齢なんて生きてるだけでも大変なことなのに、最後までボケずに、寝たきりにならずに、自分のことは自分で出来たというから基本的な生命力の強い人なんだろう。
「あと数ヶ月で100の大台に乗るからそれまで生きる」と、口癖のように語っていたと言う。

大往生といっても、うちの奥さんにとっては「肉親」の母親に変わりはなく、その悲しみは実の娘の義妹と全く変わらない。
ある意味うちの奥さんの今の性格に大きな影響を与えた義母の逝去は、やはり大きな喪失感があるようで今は全く元気が無い。


これで、俺の世代の「親」はみんないなくなってしまった。
70代前後で逝ってしまった他の3人の親たちと違い、100年間も自分らしく生きた義母の人生は...やっぱり凄い。

「よく生き切りましたね、お疲れ様でした。」
「今はゆっくりお休みください」


そして

「うちの奥さんを育ててくれて、ありがとうございました」