ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

あとで「間違ってた」じゃ済まないんだぞ

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人が死ぬのはもう十分だろ。

しかし、まだ殺し足りないという誰かの前には、「押しちゃいけない」ボタンがいつでも押せる状態で、置いてある。
...どんな大義名分や思想信条があろうとも、「それを押したらもうおしまいだぞ!」...なんてボタンだ。
たった一人の人間にそんなものが委ねられているなんて...どんなに優秀だった人間でも、必ず老いて錆つき壊れて鈍くなるってのに。
人類が、世界が、そんなに頼りない個人に未来を握られているなんて...真実この世の中は、考えられているよりずっと不安定で儚いものだったって事だ。

動き続けているウクライナの事態は、情報をある程度自由に入手できる人間にとっても真実とフェイクニュースが重なり合って、本当に正確な状況を知ることが難しい。
だが、この個人が「核」の使用についても言及し、それを脅しに使っているのは事実。
周りの国や世界を相手に、「敵に加勢すれば使用する」と。

それをもし使えば被害は桁が違う量となり、世界経済は滅茶苦茶に破壊され...人類の存続さえ危うくなる。
アインシュタインが言ったという「確実に言えるのは、もし第4時世界大戦があれば、それは石と斧の戦いになる、という事だ」という言葉が、現実となって来る。

この戦争の結果が人類の終末にならなかったとしても、今後は「核削減」とか「核全廃」という言葉が光を失い、各独立国が自己防衛のために核を持つ時代になりそうだ。
全米ライフル協会の、「反・銃規制キャンペーン」の宣伝文句...「もし悪人が侵入して家族を襲ったら、身を守るのは善人が持つ銃だけだ」という言葉が、自分の国を守るための核所有の理由となるのだ。

だけどそれが抑止力で済まずに、例え「正当防衛」であっても、もし使ったらそのあとは「大量破壊」と「大量殺人」の応酬と言う結果が待っている。
通常兵器で犠牲者数千人の戦争も、もし核使用の戦争となったら数万人・数十万人じゃきかない犠牲は必ず出る...おまけにどんなに「きれい」な爆弾でもその環境破壊は凄まじく、汚染の影響は長く残り、人類の生存を脅かし続ける。

...そんな事は解っている筈だろうに、この男はこの戦争でどう結末をつけるつもりなのか?


それとも、頭の悪い俺には想像もつかない「マシな結果」が他にあるんだろうか?


今現在、人類の未来が、自分たちの明日が、好きでもない尊敬もしていない男の気持ちにかかっているという事に、凄く腹が立つ。