ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「匿名」問題

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ネット・SNS上で、テレビ出演者の女性が匿名の悪意ある書き込みに集中攻撃されて、自殺するという事件があった。
事の成り行きはネット上に詳しく出ている。

「ネット」という「世界」は、以前はパソコン上だけに存在する虚構空間だったが、今は世界中のほぼ全員が持っている「スマホ」という究極の玩具の中の、現実に限りなく近く存在している「擬似世界」の事だ。
その中には、一部閉鎖空間内で実名である事が条件化されているものもあるが、殆ど全てが実名でも良いにも関わらず「ハンドルネーム」という「匿名」を使う事が許されている世界だ。

その匿名・ハンドルネームを名乗るにあたって、その名に何の義務も責任も問われず、ほとんど制約も無い。
つまり、中年無職の男が16の高校生少女を名乗ろうと、15の子供が偉そうな知識人のフリをしようと、外国人がその国の人間に成りすまそうと、高名な金持ちが浮浪者に成りすまそうと、なんでもやり放題なのが今のネットの世界だ。
そうした現実の自分とは全く違う自分だけの設定でネット上の人物になりきる時、現実社会で抑圧されている人間程、その意見や感情や欲望がより過激に感情的になり易い。
そして「匿名」の仮面の裏側で絶対バレないと思い込んで、自分の欲求不満や倒錯した欲望を無遠慮に人にぶつける快感に酔って行く。

その標的が、表面的な情報で「悪いやつ」とか「いじめても良い人間」とか「酷い目にあうのが当然」「自分の方が正義」なんて設定であれば、その攻撃には歯止めが効かなくなり、「死ね!」「消えろ!」なんて言葉を書きつけるのに抵抗が無くなる。
そんな場合の表面的な情報が正しいかどうかは、少し調べれば本当にそうなのかどうか疑問が出てくるケースが殆どなのだが...

ただ、匿名と言っても、「ハンドルネーム」を介して現実世界では知り合う機会が無かったであろう「他の世界」の人物と出会えるチャンスが多いのも、ネットの世界の特徴であると思う。
現実世界での外観や職業・年齢・性別などを知らないからこそ、自分たちの興味ある事柄や趣味などの共通点から知り合って行き、やがて機会があって現実世界で会った時にはそうした「差」が違和感や躊躇いを超えて「友人」となる事が出来るのは、人類が今まで経験しなかった長所だと思う。
つまらない「外観の垣根」を超えて先に行けるのだ。

だから、俺は「文責を負う」と言う意味も含めて自分では実名でブログを書いているが、長い時間を経てハンドルネームで知り合った友人が多く出来た。
いや、もう今では付き合いのある殆ど全部の友人が「元ハンドルネーム」から始まった人達だ。
そこには「匿名」の背後に隠れて悪意を弄ぶ様な人は居ない。

また、例えば大企業や巨大な権力を持った存在の「不正への内部告発」なんて場面では、正体を隠すための「匿名」は絶対に必要だと思う。
圧倒的な力の差の前には、その内部に居るちっぽけな正義は実名であればあっという間に吹き飛ばされ・押しつぶされ・消されて終わりだろう。
「正義」というのは単純なものでは無いので、その行為は後の歴史が判断するしか無いのだけれど、公害や薬害・政治的スキャンダル・国民への裏切り行為などの巨大事件の多くが、内部にいた人の情報漏洩が事件の大きな展開のきっかけとなったのも現代の歴史の姿だ。

だから、匿名の影からの卑怯極まりないイジメや悪口を取り締まるために、匿名の正体をすぐに明らかにできる法案が...というのは、ちょっと怖い。
ネット上の卑怯な炎上騒ぎの犯人捜し、だけならいいが...もし、この法律を使うものが「権力者」だとすると、それは反対意見を内部告発者をすぐに特定して拘束することが可能になると言う事。
法律の詳しい内容を知らないでこう言う事を書くのは軽率だと思うが...「言論の自由」と言うのは、今のような生活をする為の基本中の基本の権利。

決して、近隣の独裁国家のようになってはいけない。

俺自身は匿名というのは好きではないが、「匿名の権利」と言うのも守られなければいけないものではないだろうか?

(情報不足で書いているため、「間違った!」と思ったら削除します。)