ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ケ・セラ・セラ...って、2月がやって来て

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寒いよ、コロナだ、ワクチンだ...なんて言ってるうちに、もう2月。

 

ゴルフ業界でずっと仕事しているのに、本場のウィンタールールも全然知らなくて、「へえ〜〜〜、知らなかった、驚いた」なんて言ってるうちに、もう2月。

そこで、以前なら怒ったはずの「ボール動かせ、マットを使え」のウィンタールール問題を考えた。

 

驚いたのは、ゲームの本質に関わるルールの変更には絶対に反対すると思っていたR&AやUSGAの裏切りだけど...実は、少し前にこんな風に「ルールを変えるかも」って違和感を、ある事件での対応に感じていた。


それは、2018年の全米オープンでの「ミケルソンの動いているボール打ち事件」での対応だ。
俺的には、こういうゴルフの本質に反する「意図的な2罰打覚悟の反則行為」は、「除名」か「免許剥奪」に相当するゴルファー失格行為だと思っていた。
いわば、「それをやっちゃあおしまいだよ」ってレベルの、ゲームの根本を否定する超悪質反則行為だ。

 

「以前もそんな事件はあったじゃないか」と言う人もいるかも知れない...例えば1999年全米オープンでのジョン・デイリーの行為だ...何度打っても同じところに帰ってくるボールにキレて、また転がって落ちてくるボールを打ってしまった事件。
しかし、この時にデイリーはその後プレーをやめて棄権した...いわば棄権を決めてやった故意の反則行為だったわけだ。
だから、その気持ちはわからないでもないし、その結果に報いは受けている。

 

が、ミケルソンの反則行為が悪質なのは、意図的に2罰打を加えて平気でスコアカードを出して、その後の試合に出続けた事だ。
元々は「自分に不利なように」という精神でルールが出来始め、判定が難しい場合用にルールが増えていったゴルフというゲームは、基本的に「ルールを悪用しない」「卑怯なことはしない」と言う「性善説ルール」だと俺は思っていた。

それなのに、このミケルソンの「そのままだとあと4打も5打もかかるかもしれないから、意図的に2罰打で止めた」(本人が言っている)なんて行為が許されるはずがないだろう...と思っていた俺だったが、この事件に対してのその後のツアーメンバーへの意見聴取では、「ゴルフの本質にあるまじき反則行為」と明確に否定したのはジェイソン・デイなどごく少数だった。
ジョーダン・スピースをはじめとする大多数は、「機会があれば自分でもやるかもしれない」という肯定派だったと聞く。

 

この頃から、「ツアープロの意識や、ゴルフツアーの雰囲気が変わったんだな」と感じるようになった。
多分ツアーだけではなく、欧米のゴルフ界全体が「あるがままに打つ」をはじめとする、ゴルフの原則にルーズになっていったんだろう。
...俺は急速にプロツアーに対して興味が無くなり、今までやってきた自分のゴルフにも懐疑的になった。

 

そして、俺が好きだったゴルフの本質的な楽しみを、一から考え直して辿り着いたのが「ヒッコリーゴルフ」だったという訳だ。
今のところその選択に後悔はなく、ただヒッコリーゴルフの難しさに楽しい悲鳴を上げている。

そんな訳で、今の俺のゴルフには実はウィンタールールもルール変更も関係無く、ただ「ゴルフの本質は、ケ・セラ・セラ(なるようにしかならない)」で遊ぶだけだから、偉そうなことを言う資格は本来全く無い。

 

つまり
「幸運・不運は神様任せ」
「ボールに触るな」
「ライを楽しめ」
「空と風と緑の中で、数字を書いて俯くな」
「ゴルフは景色があるから面白い」
「泣くのも笑うのも、そのホールだけで終わる話」
「次のホールには、次の人生」

「たとえ全部ダメだったとしても、ダメな話も面白い」

 

てな感じだ。

 


さて、まだ2月でもう2月...俺のゴルフシーズン開幕は、まだまだ遠い。