ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

掘っくり返し屋のノート『駒澤雀奇談』・・・1

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日本で最初の日本人による日本人のためのゴルフ倶楽部であった東京GC。最初にコースがあった駒澤には熱心者たちが集まり、あれやこれやの珍談奇談が残されているので幾つか紹介してみよう
※この話は当時の記録や回想等から構成されているが、会話等は記録に載って居るものそのままではなく、『こんな感じであったのだろう』という多少の加味をしている部分があるのでご了承ください

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駒澤のコースは、明治天皇がウサギ狩りをした事のある大切山と呼ばれる雑木林と、その周辺の田畑を切り開き、横浜の日本レース倶楽部GA(NRCGA)会員G.G・ブレディとF.E・コルチェスターの設計で、キャディが砲台と呼んだ赤土製のティイング・グラウンドと、同じ土台で造られた正方形のサンドグリーンの9ホールが造られた。(当初は6Hだというが開場式の際に9番も使用されていた話が残っている、なお18Hになったのは1926年)
しかし、開いてから暫くの間土壌は安定せず、グズグズの個所もあり芝付は悪い。例えるならば畑に角切り芝が植えられている様な状況下で、会員一同プレーをしていた。
当時について初期からの会員伊地知虎彦(1927日本Am2位)曰く、皆ルールが解らずノータッチで行ったので、貼り付けをしている角芝の間に入ったボールも芝ごと打ち飛ばすような有様で、伊地知自身もそれによって英国で覚えたフォームがすっかり変わってしまったという。

英国留学時にゴルフを覚えた邦人ゴルファーのパイオニア松平慶民松平春嶽の三男、宮内侍従)は、そんなデコボコでシューズの中にまで土が入って来るようなコースの状況に閉口し、
『ゴルフコースというのはコンなものじゃぁないンだよ……』とコボしたが、それを聴いた駒澤でゴルフを始めている川崎肇(川崎銀行、日本Am3勝)が
『松平さん、あんたは下手だからそんなコトを云うんだよ』とやり込めた。

これは松平が1930年2月に東京GC創立会員の森村市左衛門(開作)と名手赤星四郎の企画で行われたパイオニア達の座談会(川崎をはじめとする駒澤雀達も参加、『Golf Dom』が記録)で語った事で、日本のゴルフ史の書き物でよく取り上げられる。
※松平は『川崎君だか誰だか言ったことを覚えております』と述べているが、ここでは川崎の言とした

 が、この座談会で上がった駒澤の思い出話のなかに、松平をやり込めた川崎が別の時分にプレー中1番ホールの辺りで歩いていたら、いきなりズボリと腿のあたりまで埋まってしまい、同行の高木兼二(海軍軍医総監及び慈恵医大創立者高木兼寛の次男で同病院の副院長を務めた)に引っ張り出して貰ったという事にも触れなければならない。
 ハイカラなゴルフスーツを着た実業界有数の美丈夫(『The Bunker』1915年12月号に当時31歳の川崎の写真が掲載されているが、可也男前である)が、ゴルフコースで下半身が埋もれて戸惑う様は、当時雑誌などに書かれた1枚式漫画絵の様な風景であり、またよい題材に成ったことだろう。

そのような珍談を残したコースも会場から7ヶ月後に行われた横浜根岸のNRCGAとの対抗戦の頃には芝もすっかり根付き、コース設計者の一人で、東京GCの発展の助力をしていたG.G・ブレディに『非常に立派になった』と褒められ、グリーンも1916年にはグラスグリーンへ替わっている事が写真に残っており、同年中国の英字新聞『North China Daily News』の紹介記事でもグリーンが一級品である事が評されている事から皆が整備に本気を見せたのは間違いない。

 

 

 

主な参考資料
日本のゴルフ史 西村貫一 雄松堂 1995(復刻第二版)
The Bunker 1915年12月号~1916年11月号
阪神ゴルフ合本(1922年4~6,9月号全四号)
・東京ゴルフ俱楽部50・75・100年史 1964,1991,2015 
・『東京ゴルフ倶楽部史料室だより№4 東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの全て』2007
・『東京ゴルフ倶楽部(会報)』2014年冬季号-100周年特集号
・『INAKA第五巻』11章『 Golf In Japan』収録 North-China-Daily News Hindie筆
『Rokkosan A Thing of Beauty and a Joy for Ever』 1916
・『INAKA第十巻』掲載『Golf of Yedo』 1919
・『野球界』1919年12月号 鈴木寅之介 『ゴルフ遊戯に就いて』
・『婦人公論』1929年8月1日号 『東西婦人ゴルファ』より室町英二『東京の名流婦人とゴルフ』
・『東京朝日新聞』1922年12月20日朝刊五面
・『Golf Dom』1923年6~8月号『So This is Golf!(1)~(2)』
・『Golf Dom』1930年8,10~11月号、1931年1月号、1932年12月号より、『ゴルフ座談会の記(2)~(4),(6)~(7完)』
・『Golf Dom』1930年10月号 林愛作『駒澤になるまで』
・『Golf Dom』1934年10月号 C記者『森村市左衛門氏にゴルフを訊く』
・『Golf Dom』1935年3月号『ゴルフ漫談 田中善三郎氏との一問一答』
・『Golf(目黒書店)』1931年11月号高木喜寛『ゴルフ発祥の時代』
・『Golf(目黒書店)』1933年2月号大谷光明『ゴルフ思出の記(二) 六甲から駒澤へ』
・『Golf(目黒書店)』1933年3月号大谷光明『ゴルフ思出の記(三) 駒澤をひらいた頃』
・『近代ゴルフ全集1』収録、田中善三郎『ゴルフむかし話』 中央公論社 1959
・『夕刊フジ』 人間グリーン257 鍋島直泰12『古く懐かしきキャデー』
・『夕刊フジ』 人間グリーン263 鍋島直泰18『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(上)』
・『夕刊フジ』 人間グリーン264 鍋島直泰19『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(下)』
・『ゴルフ80年ただ一筋(第二版)』 安田幸吉  ヤスダゴルフ 1991
・『わが旅路のファウェイ安田幸吉ゴルフ回想記』 井上勝純  廣済堂出版1991
・『人間グリーンⅣ 小坂旦子・三好徳行』   光風社書店 1978
資料はJGAミュージアム及び同本部資料室、国立国会図書館昭和館図書室で閲覧他、筆者蔵書より

参考サイト(本文2の執筆で閲覧)
鹿島建設ホームページより 鹿島の軌跡~歴史の中から見えてくるものがある~ 第25回『東京ゴルフ倶楽部と朝霞コース―日本初の常緑芝のゴルフ場(2009年4月28日公開)』
・Sports Network Japanホームページより Sports Advantage Vol.708-1 (017年3月13日公開) 岡邦行『原発禍!「フクシマ」ルポ87』
・鹿島カントリー倶楽部ホームページより『鹿島カントリークラブの施設ご案内』

 

(この記事の文責と著作権は松村信吾に所属します。)