ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ゴルフ遍路、またはゴルフ巡礼...俺のゴルフの最終形

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世の中は落ち着かない。
異常気象や天変地異が多少あろうとも、これからの巨大な戦争は自滅と知っている人類...俺の人生が終わるまでの時間にそれほど大きな変化があるとは考えてなかった。

この武漢肺炎から始まった新型コロナによる厄災は、想像以上にこれまで築き上げた人類の生活様式を破壊しつつある。
有名人が死んだり、この病気の感染がわかっていても、愚かな政治家の無策によって救急車を呼んでも5時間以上たらい回しにされた挙句、入院も医者にも見てもらえもせずに自宅で死ぬとか...これを医療崩壊と呼ばずになんと呼ぶのか。

人生の終わりは本人や周りの予定なんか関係無く、いきなり不本意なまま断固としてやって来るのだとしみじみ思う。

ゆっくり、何もせずに、なんてしていられない...どうせ死ぬにしても、納得できる死に方に少しでも近づけたいものだ。


夏の暑さを避けて長い休みに入っている間に、俺のゴルフ人生の終わり方をずっと考えている。

...正直、数字を追うゴルフは面白い。
それが、操作不自由なヒッコリークラブと腐った糸巻きボールでの結果だと、なお一層面白い。
ただ、最近それで遊んだ結果が、どうも以前より数字が悪いし面白さも色褪せてきたような気がしていた。
これは多分、俺の最近の緊張感の無さが、ヒッコリーゴルフ本来の面白さを損なっているためというのは分かっていた。
で、どうすればもっと「ヒッコリーゴルフ」を楽しめるかを考えていた。

こんな世の中の情勢もあって、おバカな俺の脳みそが見つけ出したゴルフスタイルが「お遍路ゴルフ」または「巡礼ゴルフ」だ。

中高年の登山家が「百名山」制覇を目指す気持ちがわかる。
自分の行動に、何か「目標」とか「目的」が欲しいのだ。
ほとんどの人にとってそれが果たせない夢だとしても、多分「いくつ登った」とか「あといくつ」という感覚が、情熱や憧れを長く続かせて行く原動力になる。
無名の、何も記録に残せない大多数の人々にとって、そうした自分の「挑戦する気持ち」「自分の成し遂げた結果」は、誰に認められなくても自分だけの人生に消えず光り輝くものだと思う。

しかし、俺にはそうした「数の目標」はいらない。
だとしたら、俺にとってこれからヒッコリーで遊ぶ気持ちはむしろ「四国八十八箇所巡り」のお遍路さんに近いんじゃないか、と思いが至った。
俺にとって本物のお遍路とは、例えば「もし娘が小さい時に不慮の事故や病気で亡くなっていたら」きっと出かけたんじゃないか、と以前から思っていた切ない動機の旅の姿。
でも、幸い娘たちが無事に育ってくれた今だから、俺はゴルフで遍路に出ようなんて気持ちになるんだと思う。

俺の残り人生で88回ラウンドする事を目標にする。
18ホールを88ラウンドだ。
その88ラウンドは同じゴルフ場に何回行ってもいいし、どんなにチンケなコースでもいい。
むしろ名門コースには極力行かない...というより経済的な意味で「行けない」。
それは俺の当たり前...貧乏でも身の丈に合ったゴルフが出来ることは、ゴルフバブルの弾けた結果の数少ない恩恵だ。

うちの奥さんが一緒に出来る時にはそれぞれのコースに予約出来るが、一人の時にはオープンコンペを狙い、スコアはちゃんと書いておく。
もしもどなたかが安いコースのお誘いでもしてくれれば、喜んで参加させて頂く事も増やす(目安は基本1万円前後まで・笑)。
9月半ば過ぎくらいに、ゴルフ遍路1ラウンド目をスタートさせるつもり。

新しいテーマを、そこからスタートさせる。
寒い1月2月と花粉症の3月4月、雨の6月酷暑の7月8月を除くと、俺のゴルフシーズンは基本5月と9月10月11月12月の5ヶ月。
そのシーズン中は、なるべく月3のラウンドを目指して、計年間15ラウンド。
単純計算で88ラウンドが終わるのが6年後。
年間20ラウンドでも5年...丁度俺の人生の終わりともリンクしているようだ。

正直88ラウンド回ることは無理な気がするが、本物の遍路も行き倒れ覚悟の旅...途中で終わるのもまた人生。
18番ホールを悔い無く楽しむために、9月に1ラウンド目をスタートするつもり。