ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

冬の寒さが本格的に...

f:id:ootataki02:20201217231901j:plain

シブコが勝ったら色々書こうと思っていたんだけど。
10ホールまで見て「これは絶対に勝てないゴルフだ」と確信して、あとは風呂に入って寝てしまった。
評論家じゃなくてただのシブコファンの立場だから、偉そうなことは書きたくないのであの試合の事は書かない。
ただ、感じたのは「上手くなったけど、弱くなったなあ」...それだけ。
また、こういうチャンスがあったら彼女のゴルフプレーのリズムは好きなので、応援はするつもり。


テレビをつけると、世の中は「GO TO」とかいうもので大騒ぎ。
うちは奥さんの病気もあって、遠出外出はこの一年自粛中なのでそんなものには全く縁がなかった。
まだこの先も、奥さんに武漢肺炎が感染しちゃいけないので、多分ずっと縁は無い。

だがこの数日で、テレビやマスコミの騒ぎというものが、冷静に考えりゃものすごく滑稽なものだという事がよく分かった。
まずテレビの報道番組なんかでは、ついこの前まで「「GO TO」を続けているから武漢肺炎の患者が増え続けているんだ」「すぐにやめるべきだ」という方向で流れが作られ、ゲストも司会者も口を揃えて政府を責めていた。
それが、突然首相が「GO TOをやめる」と発表した途端に、今までとは正反対の意見「旅行業者が」「観光業者が」「飲食業が」で、また番組総掛かりで政府方針に反対・批判を始めた。
続けりゃ反対、辞めても反対...素人は「じゃあ、どうしろって言うんだ?」と言いたくなるんじゃない?
ああいう番組は、ただのおばちゃんの井戸端会議以下の存在なのかねえ。

世界一の大国とやらの大親分が、次期親分との相続でもめている。
この大親分も言ってることをよく聞けば、それなりの傑物だったとは思うんだけど、なぜか「ついった」なんぞと言うものが気に入って、自分の言いたいことをあまりにも沢山言いすぎるから、その言葉がどんどん軽く胡散臭く聞こえて来る。
言いすぎて言葉が軽くなりゃ「存在感」も軽くなり、その人物自体が軽くて薄っぺらに思われてしまう。
もうちょっと言葉を大事にすればなあ...

その親分が頼った「ついった」だの「へいすぶっく」とか言う現代のねっとを牛耳る「書きたい放題のねっとくらぶ」が、一番に上げている存在理由が「表現の自由」のくせに、この親分の書いたことや言いかけたことを「へいくにゅーす」だからと勝手に判断して削除や突然の通信切断したのには驚いた。
自分と違う意見だからといって、経営側がそれをやっちゃあお仕舞いなんじゃない?
俺のような頭の悪い人間には、こんなことが起こってもそうした「ついった」やら「へいすぶっく」なんて代物にゾロゾロと人が集まるのが分からない。

 

武漢肺炎のために、世間はまたしばらく「自粛生活」を続けなければいけない状況になってきた。
ワクチン接種が一定の効果を出すまで、こんな生活は続くんだろう。

情報を集めるにはネットの世界は便利だけれど、フェイクの技術が進歩してきて真実を見極める事がどんどん難しくなって行く。

 

...アホはアホなりに、しっかりと目を開けて行かなくちゃな。
見続けていれば、真実が分かる時がきっとあるはず。

...だと、思う。