ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

氷河時代と地球温暖化とゴルフと...俺と

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いや、偉そうで難しそうな言葉は、ただ書いてみたかっただけで深い意味は無い。

自粛期間にあちこち遠出する事も出来ないから、しょうもないこと考える時間は沢山ある。
と言う事で調べてみると、今は氷河時代の真っ只中にいるらしい。
この氷河時代の中に氷河期と間氷期があって、今はその「第4間氷期」とやらの真っ只中なんですと。(この言葉は安部公房の小説で有名だ)

でも、今のトレンドワードは「地球温暖化」。
素人考えじゃ、「氷河期に地球が温暖化するなら、それでいいじゃね」になる訳だけど、最近多い「スーパー台風」だとか「異常豪雨」だとかの異常気象は地球温暖化が原因だと言うから安心してもいられない。
ただ、どちらの意見もちょっと深く調べれば、それぞれの主張の裏に「都合の悪い真実」が隠されていて、俺程度の頭脳では「じゃあどうすりゃいいのか」の判断がつかない。
「でも、どっちみち俺の生きてる間にゃ関係無いか」なんて怠けていたら、今度の肺炎騒ぎだ。
突然の疫病に今日明日の生きるスタイルまで強制的に変化させられて、ホントに「昨日の続きがよく似た明日」じゃなくなっちまった。

それは、長い歴史があるゴルフって遊びにも影響が大きくて、遊び方にも今までと違うスタイルを迫られるようになった。
とは言え、それら変更を強いられているスタイルの殆どは、伝統ある名門のゴルフとは関係の無い、俺のやってるような「庶民の遊ぶゴルフ」の話。
まず豪華な食事や贅沢な風呂や、酒飲んで騒ぐコンペやパーティーのようなものがはダメ...それらは本来の「ゴルフ」というゲームには必要の無い、我々貧乏人の擬似成金趣味、つまり「月に一度は憧れの贅沢気分」を味わうための過剰装飾でしかなかったんだけど。

俺の感じていたゴルフの面白さってのは、各個人が本来持っている戦略的想像力と闘争本能、それに吟遊詩人的な遊び心の「割合の差」でゲームに臨むスタイルが違うところ。
一般的にはスタート前の実力の裏付け無き全能感と、脆くて根拠の無い自信と、ジワジワ増殖して来る恐怖感と不安感がいい。
そして、ラウンド後の深い絶望と、自虐的な怒りと、哲学的な虚無感がいい。
1日かけた大人の遊びで、これだけ身に心に刺激的な影響を与える経験は、他に無いだろう。(もちろん恋愛ゲームがお好きなら、もっと刺激的な気分は味わえるだろうが、こちらは財政的にも肉体的にも精神的にもダメージの大きさには際限が無いので、やるならどうぞ命懸けで。)

そしてこのゴルフの一番良い所は、たとえ絶望して地面に倒れ泣き伏しても、不思議なことに一週間、長くても一ヶ月でほぼ例外なく立ち直り、それらの悪い事毎がなかった事のように記憶から消えることにある。
たとえ二度と立ち上がれないくらいに傷だらけのボロボロになったと感じていても、道具を変える・コースを変える・遊び相手を変える、そして(例え頭の中だけであったとしても)打ち方を変える・スイングを変えるなんて事で、またやる気も闘争本能も復活してしまうのだ。

 

という「ゴルフ」も、「非常事態宣言」下では「stay at home」で車が県境を越えればそこの県民に石を投げつけられる、という世界になっちまって、事実上「プレー禁止」状態だった。
非常事態そのものよりも、そうした下衆な民度になっちまったことの方が大きな問題なんだけど...ホントに「明日」が「今日」よりも悪い世界にならなきゃいいよな。

 

俺はまだ当分ゴルフは出来ないけれど...肺炎騒ぎが収まらなければ、我々一般人がゴルフを楽しむ時代は当分来そうにない事が寂しい。