ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

2019年11月の雑感

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やっと「暑さ」を感じなくて良い季節になって来たのかなあ...

日陰のできない川伝いの道にも散歩する人の数が増えて、夕方また日が高い時間にも犬の散歩する同士のイヌミケーションをあちこちで見かけるようになった。

 

そんな道でなぜか俺が出会う「犬の散歩」をする方々には、「老犬」と言った方がいいようなヨタヨタの犬を連れている人が多い。

犬を飼ったことのない俺にも、(顔が毛で覆われているので人間のように顔のシワやハゲ具合で年齢を判断することは難しいが)なんとなく「歳をとった犬」というのは顔の感じと、動きの遅さで「ああ、これは老犬だな」というのがわかる。

調べてみると犬の寿命というのは、大型犬で8〜10年、小型犬や雑種の犬で10〜13年だという...これは俺の感じてたものよりずっと短い。

うちで飼っていたネコは、普通に15〜16年は生きたから、犬は猫よりも寿命が短いという訳だ。

 

子犬や若い犬は、散歩が嬉しくて飼い主をぐんぐん引っ張りながら歩いて(走って?)行くが、そうした老犬は休み休みゆっくり歩いて生き、中にはもう歩くのに疲れたという感じで座り込み、飼い主に抱かれて行くのも結構いる。

何か目に元気が無く、オドオドしているようにも見える。

こんな秋の風景に、そんな老犬の佇まいは...すごく寂しい。

 

テレビのニュースでは天皇の即位パレードの映像が流れている。

天皇というのは本当に大変な仕事だと思う...中世の暴君でも無いのだから、贅沢三昧をして好き勝手に生きることも出来ず、プライバシーも大きく制限され、ただ「国民のため」に生きる。

小さな頃からそういう教育を受けて、なおかつ精神的に安定し、本質的に善人でなければとても務まらない「無私」の仕事。

生まれた時からの宿命だから「仕事」というのとは違う気もするが、それに耐えて立派な立ち居振る舞いを続けて生きて行かれることを、俺は心底尊敬する。

どうか、「良い時代」の象徴になってほしい。

 

そうして時代が変わる。

俺は今月27日に70歳の誕生日が来る。

親父が70で死んだので、その「壁」は「70まで」と思っていたのだが、考えてみれば「71になる」までが壁だった、と最近気がついた。

人生ってのは、不思議なものだ。

こんな歳まで生きていられるなんて、全然思っていなかった。

まだ普通に仕事をしているなんて、考えてもみなかった。

 

不整脈は寝不足の時にたまに出るが、この前手術をしてくれた先生と話していて気がついたことがある。

俺は治療や手術で「病気が治る」ってことは、悪いところが「新品同様になる」んだといつの間にか思い込んでいた...つまり心臓の手術で成功すれば、心臓は若い頃のように元気いっぱいになる、なんて風に。

が、先生に「その歳での元気で正常な心臓に」と言われて、「ああ、そうか!

俺の心臓はちゃんと治しても70歳の心臓として年相応に元気になるんで、30代の頃の若い心臓に戻るわけじゃないんだ!」なんて、当たり前のことにやっと気がついた。

あまり医者にかかったことのない俺は、(「藪」ではない「名医」といわれる)医者ってのは「魔法使い」のように思い込んでいたのかもしれない。

 

さて、仕事をやって、遊びにゴルフをやって、晩酌をして...団塊世代の秋の夜は、人生の秋(もう冬かな)をしっかり味わってる。

 

 

夜遅くに、一人思う。

なあ、別れた人よ、先に逝っちまった友たちよ、俺はお前たちをしっかり思い出して酒飲んでるぜ。

 

だから...たまには俺の相手をしてくれないか。