ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

再発した不整脈について、主治医の先生と相談した

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先日暑さでよく眠れなかった朝に発生した、不安を感じさせる不整脈について主治医のN先生と相談してきた。
(先生と話したことをイラストにしてみたが、細かい記憶違いがあるかも知れないので誤りが判明次第修正する。)


正直、2年以上前にはカテーテルアブレーション手術さえすれば、不整脈とはもうすっかりおさらば出来ると思っていた。
手術する前に色々とネットで調べて、この「カテーテルアブレーション手術」は「不整脈が完治する確率」が9割くらいだという知識を持っていた。
(再発率は1割以下だということも)

が、今になってまた新しい情報を調べてみるとそれは色々と人によって条件が違っていて、1年以内ならそういう結果らしいが何年か経つとまた不整脈が出る人も少なくなく、「完治」という言葉は最近は使わなくなっているようだ。

自分にとっては、手術前にはちょっとしたきっかけでひっきりなしに出ていた不整脈が、この2年はそんな心配はほとんど無くなった生活が続けられたことで、あの手術が失敗だったとは思っていない。
...だが、また再び自分の脈がテンデンバラバラになるのを経験するって事は、全く面白くない。
今回の発作が2年ぶりの1日続く脈のバラバラ状態だったので、先生には「またこれからこういう発作が頻繁に出現するのか?」と、「再手術すれば完治するのか?」と、「再手術をしない場合の治療法と生活方法」を聞きたいと思った。

先生に丁寧に説明して頂いた事はイラストのような事だ。

つまり再手術の方法としては、有効な方法があるという事。
今回の発作が、心臓自体の老化による可能性もあるという事。
この治療は「完治する」という言葉より(「完治」の定義が難しいらしいことは想像できる)、その人の寿命一杯持たせるように心臓を修理して行くという意味が近いらしい。
確かに70年近く使って来た心臓を、20代のように(新品同様に)することが「完治」なのか、その使ってきた年数相応の状態に戻す事が「完治」なのか難しい問題だ。

考えてみれば、俺は間も無く70年落ちの、「旧車」もいいところ...一緒に走っていた仲間はもう既にかなりの奴が「廃車」になっちまった。
大体(本音じゃあ)俺が自分でこの歳まで生きてこ来られた事を一番驚いている。
こういう生活じゃあ50年も生きられないだろうと思っていたから、もう先に逝っちまったあいつらに「俺が死んだら俺の娘と奥さんを頼む」なんて頼んでいたのに...まさかあいつらが先に逝くなんて思っていなかったよ。
まあ、俺もせめて「娘が二十歳過ぎるまでは」なんて、頑張ってはいたけどね。
それも、今日この頃は「なんだよ、今の俺の年齢は!」...なんていうジジーだよ。

心臓だって壊れもするさ。
一応、今回の不整脈はあの今年最初の熱帯夜に、その準備対策をしなかったための「軽い熱中症」が原因かもという自覚があるため、普通の生活中にもう一度こういう発作が起こるかどうかで今後の判断をすることにした。



「おそるべし熱中症!」という部分を非常に感じるので、やっぱり夏の間の車中泊は危険だから回避...と言う事で9月になるまでゴルフはお休みだ。