ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「身の丈」...

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最近「身の丈」なんて言葉が、問題になってる。

昔からよく使われている言葉ではあるけれど、この言葉は自分が自分に使うのと他の人に言うのとでは大きく意味が違ってくる。

 

自分で自分にその言葉を使う時は、ほとんどが「自分が無理な背伸びをしている事」を自覚している...つまり「見栄・虚勢を張っている」とか「(自覚している)真実から逃げている」とか「そうなりたい為に嘘をついている」場合だ。

それが無理があるのが分かっているから、「自戒の言葉」として「身の丈にあった生活をしろよ」てな言葉として呟いたりする。

その場合の身の丈ってのは「足が地面に着いた生活」とか「自分が一番自分らしく居られる生活」とかいうやつだ。

これは上ばかりではなく「自分より下」と感じる誰かを確認して、「それなりに安心する自分」のセコさを自覚する時にも使ったりする。

 

が、誰かが他人に使う時には、殆どの場合この言葉は 立派な「差別用語」になる。

金持ちが「貧乏人は貧乏人らしく」とか、高学歴者が「バカは馬鹿なりに」なんて意味で使う時だ。

これは上から目線のはっきりとした「悪口」なわけで、「お前らは身の丈にあった生活してればいいんだよ」って言葉は、あの昔の「貧乏人は麦を食え」騒動につながってしまう(言った本人は「麦の方が健康にも良いし、コメよりずっと安いんだから」なんてつもりだったらしいが)。

 

俺がイラストレーターになろうと思ったのは20歳前の頃、親が期待していた「大学進学して公務員になれ」という道を、親不孝承知でドロップアウトして「何かモノを作りたい」という焦がれる思いだけでこの世界に飛び込んだ。

本来は美大や芸大なんてところで1から学ぶのが正道であったろうけれど、石膏デッサンひとつやったことのない俺には受験する技術も金も無かった。

で、親に勘当されて家を飛び出し、バイトしながら「各種学校」である東京デザイナー学院に入ったのが19の時...「陶芸でもやってみたい」だけの男が、この学校の先生に無理矢理グラフィック科に移らされて、「絵を描くこと」の面白さに目覚めてしまった。

月謝でみんな絵の具を買ってしまい、卒業せずにイラストレーター募集の新聞広告に応募してデザイン会社に入り、そこでいろいろな人に出会い、半年でフリーになって...以来46年ずっとフリーのイラストレーターで食べて来た(来られた、か)。

 

初めはポスターなどの広告のイラスト、やがて雑誌のイラストを描くようになり、ゴルフダイジェストのイラストを描くようになってから、主な仕事はゴルフイラストになった。

イラストに関係ない「俺の絵」で銀座で個展は20回くらいしたけど、残念ながら人生には何の影響も無かった(絵は、よく見知らない人が買ってくれたけど)。

 

そのイラストレーター生活初期の頃、広告の仕事の時にその後ずっと記憶に残る出来事があった。

ある代理店の仕事で、デパートのポスターイラストの打ち合わせの時だった。

名刺交換の後、その担当の人が聞いてきた。

「ところで、あなたはどこの美大のご出身ですか?」「多摩美? 武蔵美? それとも芸大?」

「いえ、私はどこも出ていませんが...」

「え?...」

 

少しの沈黙の時間が過ぎ、その人は

「あ、ちょっとこの話は考えさせてください」

...そのまま、この話は無くなった。

その時に感じたのが、「ああ、あの男はその仕事が美大も出ていない俺の身の丈に合っているとは思えなかったんだろうな..」なんて事だった。

(ずっと後に知り合った芸大出のイラストレーターは、逆に出身を聞かれて「芸大です」と言ったらキャンセルされた、と言うから...彼は逆の身の丈がやはり合わないと思われたんだろう)

 

 

「身の丈」なんて言葉は、俺は上から目線で言われるケースの方がきっと多いんだと思う。

 

 

貧乏人だし、バカだし、俗物だし...俺の身の丈って、低くなるばっかりだよな、きっと(笑)。

 

 

 

(そういえば、最近実際に1cmくらい身長が低くなったような...)