ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

令和元年 8月の人の世は

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8月のハンバーグ屋の店内に

ひたすらスマホを弄る女一人

2019年8月の当たり前過ぎる町の風景

 

昔(といってもほんの2〜30年前)、マッキントッシュのおかげでパソコンが誰でも使えるようになった頃、先見の明のある人が「パソコンはいろいろ便利にしてくれるが、人を幸せにはしない」と言い切った。

 

当時は「何を言ってるんだ?」という反応だった世間も、今ではその言葉の正しさを腹の底から思い知っている。

どんどん進化していくパソコンは、長い時間をかけて地道に努力して築き上げて来た平凡な人達の仕事を奪い取っていくのだ。

反復運動で築き上げた技能は、一瞬でパソコンに凌駕される。

ある程度の分野を占めて来た熟練の技術が、あっという間にパソコンに追い越されて消滅していく。

 

使う方にとっては一時的に設備費はかかっても、その便利さ手軽さとランニングコストが圧倒的に良いのだから、簡単に入れ替えてもう二度と元には戻すことはない。

結果、「腕の良い」職人や技術者がその仕事を失ってしまう。

俺の周りでも、写植をはじめとして印刷工、レタッチマン、製図職人などが仕事を失い、幸せではなくなって行った。

 

そして今、そんな時代の激動に無縁であった人達に、「ケータイ」から始まって「スマホ」に化けてきた小型デジタル万能機器が襲いかかっている。

もう既にその影響は新聞・雑誌などの「紙」媒体文化の衰退という形で、急速に進みつつある。

そのスマホの本当の恐ろしさは、気がつかないうちに若者たちの生活にもうすっかり浸透してしまった、ということなのだ。

若者(といってもこの化物機械に馴染んでしまった40台から下の世代という意味だが)にとって、多分「今はこれが無くては生きていけない」という感覚が普通だろう。

「大事なものは失った後に気がつく」と言われているけど、みんな現在進行形でスマホに何かを奪われているんじゃ無いのか?

「気がつかないうちに、みんな不幸になりかけているんじゃ無いのか?」って事が心配だ。

 

...ハンバーグ店内の女の子は、ずっとこれを触り続ける。

会話には返事をしてくれて、愚痴も聞いてくれて悪口も一緒に言えるし、疑問には答えてくれるし得する話も教えてくれるし、みんなの間で流行っていることもすぐ判れば美味しい食べ物も判る。

恋人も出来れば気持ちもすぐ伝えられるし、別れることだって指一本で出来る。

みんなでいじめることも出来るし、自分の言いたいこともすぐに発表出来るし、いいなと思うことをすぐにアップすればすぐにそれをみんなが賛成してくれる。

自分はこれさえあればなんでも出来るし一人じゃない、と当たり前に思う。

 

だけど、年月を生きて苦労してひねくれたジジーには、「そういうのは、みんなが嘘で作り上げたマヤカシの世界だよ」なんて思うのだ。

そんな簡単お手軽で便利でスマートでおいしくて、なんて思わせる代物は大体がインチキと悪意の世界からに決まってる、って。

美味しい話や得する話や気分が良くなる話なんて、実際の世界じゃ「向こうから勝手にやって来る事」や「簡単に手に入る事」なんて無いんだよ。

まして本物の人との出会いや別れが、指一本で傷もつかずに出来るだなんてあり得ない話だって事、判ってる?

 

スマホから出て来る楽しい話に対しては、一歩下がって(眉に唾つけ)疑いながら、よ〜く用心してつきあっていきなさいよ...と、言ってみる。

  

余計なお世話、なんだろけどね(笑)。