ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

歩き続ける

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それほど暑くはならなくなった、今日この頃。
午後3時を過ぎると、吹く風も気持ちが良い。

街中を歩くのは、散歩とは言え苦行に近いものも感じてしまう事が多い。
雰囲気のある店がいくつもある様な裏町の路地はともかく、住宅街や普通の町並みを歩くのはつまらない。

しかし、車で少し行くとこんな風な道もあるので、一本歯下駄を履いての散歩を続けている。
この一本歯下駄、履き続けてみると靴で歩いている時とは全く違う感覚になるのが良い。
一歩一歩がいい加減に無意識に歩けてしまう「惰性の歩き」の靴散歩とは違って、一歩一歩に集中していないと捻挫や転倒の危険がある緊張感と、一歩一歩にバランスを取っていないとスムーズに歩けない筋肉の連携感に身体が喜んでいる気がするのだ。

友人との別れがあっても、この一本歯下駄の散歩は後ろを向いて「立ち止まって居る事」を許さない。
動いている分には速くも遅くも歩く事は容易いのだが、この下駄はただ「止まって立っている」事が難しい。
そのまま座る事はもっと難しい。
もう飛んだり跳ねたりだって少しは出来るようになったが、静かに立って止まっている事はろくに出来ない。
理想はこの一本歯下駄を履いたまま、見つけた鳥などを静かに双眼鏡で見られる様になる事だが...揺れ止め機能のついた双眼鏡でさえ、自分が揺れてしまって今はろくに覗けない。

この一本歯下駄は確かに腰の筋肉やふくらはぎやスネの筋肉、足首周りや足指の筋肉を鍛えるのには役に立っていると感じられるが、それがゴルフに役に立つかどうかは全く判らない。
コースを歩く事の役には立っても、ゴルフスイングには大した影響はないだろう。


そんな事より、今は思う。
人生を生きる事はこの一本歯下駄を履いて歩いて来た様なものだったと。
普通はただ、前に歩き続けるしか出来ない。
立ち止まるものは、すぐにひっくり返るかよろめいて腰を落としてしまう。
上り坂でも下り坂でも、大丈夫、歩き続ける事が出来る。
むしろそう言う道を歩き続けると、足腰が強くなり逞しくなって行ける。
ただ微妙に右や左に傾いた道が難しい。
傾いている事に気がつかないものは、容易く転倒してしまう。
冷静に自分がどちらに傾いているのかを、理解していなくてはならない。
それが判れば、歩く方法はある。


さて、俺の前には、まだ道が続いている。
一本歯下駄で歩き続ける気持ちも体力も、まだある。