ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

分相応を考える



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嫌いだったゴルフに、偶然から関わって30年以上...「分相応のゴルフ」と言うものにやっと自然に向き合えるようになった。

それはゴルフ雑誌やメディアから伝えられる、歴史があり格式があり選ばれたもののマナーが存在するゴルフとは違う、羊飼いのゴルフのように思う。
登山であったりキャンプであったり、命長らえる為のジジババ散歩とは違う、一人でも楽しめる「野遊び」であり自然の移ろいを一日楽しめる「野散歩」なのだと言う事。

以前から伝わって来て、これからも変わらず存在し続けるであろう恵まれたレベルの方々の、「倶楽部」としてのゴルフは初めから、そしてこれからも我々とは関係ない所に存在し続けるのは間違いない。
2020年問題と言われている話は、それとは違う我々の世界の話で、これは我々の年齢の普通の人々が70歳になる頃からはっきりする残念な話。
一言で言えば、我々の引退と同時に我々のやっているゴルフは、あのスキーと同じ運命を辿るのだ。

私の例で言えば、普通に仕事を続けている私でもホーム以外の日曜祝日のゴルフは予算的に厳しい。
つまり、誘われても日曜祝日はホーム以外は行けない、と言う事。
プレーフィーが安くなっても、ガソリン代や交通費、車の費用迄考えると、ゴルフにはやっぱりお金がかかるのだ。
もうとっくに20歳を超えて独立した子供達も、(子供の頃にホームでジュニアルフを体験させても、だ)自分達の生活の中で「ゴルフをやる余裕はない」と言う。
子供達の知り合いの間でも、「普通の人」でゴルフをやっている人はいない、と。
数少ないゴルフをやっている人は、親が地主で働かなくても良い人か親が経営者の子供だけ、だそうだ。

競技としてのゴルフも、特別な天才以外小学生の頃に始めていなければ一流にはなれない、と言う。
以前は年齢と経験が強くするとも言われていたが、ゴルファーもアスリートとしての資質を競う様になって来た現在では、大人になって始めるゴルフではもう間に合わない。

大人で始めるゴルフの面白さは、数字を少なくすると言う目的が目に見えて進化して行く所にもあるのだが、その努力の結果が簡単に中学生以下の子供に追い抜かれるのが現実。
数字の競争の面白さは長く続かない。

年老いたゴルファーに残るのは、都会を離れた野遊び・野散歩の口実としてのゴルフ。
ゴルフを口実に旅に出て、温泉に入り、季節の移ろいを肌で知る。
あるいは滅びつつあるものの魅力を探す旅かもしれない。
そのゴルフのスタイルは、知られている常識になんかに拘らず、自分の魅かれるポイントを楽しむのが良い。


ゴルフとは「play as it lies 」が基本。
それに「play fast 」があればいい。


私は最近になってやっと「不自由な道具の方がゴルフは面白い」なんて感じ始めている。
「旅は目的地に着く事ではなく、旅の過程が面白い」んだと、昔から思っていたのにね。