ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

焼酎を飲みながら

イメージ 1

一昨日の夜、古い付き合いの編集者と久しぶりに飲んだ。
もう、25年くらいの付き合いになる....初めて会った頃はフットワークが軽く、明るく陽気で飄々とした雰囲気の好青年だった。
ちょっと年が離れていたし、私の方が先にゴルフをやっていてシングルになったばかりだったので、ゴルフの先輩後輩みたいな付き合いが続いた。

当時のデスクも私より少し年下で、ゴルフも上手くウマが合ったのであちこちのゴルフ場に遠征したものだった。
20年以上の時間が経って、既にそのデスクは定年退職し...ずっと「若い」と感じていた彼も、もう定年まで数年だと言う。
...自分が年をとったはずだ...こんな時にしみじみそう思う。

話は若い頃の話から、今のゴルフ事情まで尽きずに続く。
「あの頃は良かった」というのは昔から変わらない老人の戯言だけど、「これからのゴルフ界は」という話になると言葉が行き詰まる。
良い話が無いのだ。
同じ様な流行と廃れを経験した「スキー」にゴルフは例えられるけど、ゴルフはもっと厳しいんじゃないかと意見は一致する。
少なくともスキーは我々が憧れていた。
金持ち以外の殆ど誰もがまだスキーをやってなかった頃(もちろん雪国の地元の人達は別)、都会の若者はあの白銀の世界に憧れていた...何時も暮らしている世界とは別世界のあの場所は、まるでスポットライトの当たった晴れ舞台の様に見えた。
少しずつお金と時間が溜まってなんとかスキーを始められる様になったとき、若者はスキー板やスキー靴やスキーウェアを買いに、神田のスキーショップ街に出かけて行った。
そこはビクトリアやら何やらのスキー専門ショップが連なり、熱中した人達は毎年新しいモデルを買いに行ったものだった。
自分が初めて体験したスキーは、山と渓谷社の同年代の編集者と一緒に四角いランクルで行ったもの...酷い話でレンタルで板と靴を借り、ウィンドブレーカーにジーパンに毛糸の帽子と手袋姿で、下で一回ボーゲンを教えてもらってからいきなり林間コースに連れて行かれた。
乗るのもやっとのリフトに乗り、ほぼ山頂からいきなり林間滑降...止まりたければ転ぶのが一番だったので、滑るより転げ落ちたと言う方が近かった...だけど雪まみれになり転んだ時に見上げた青い空は奇麗だった...そして、そんなに転んだことって小学校に入る前にも無かった事だって気がついて、なんだかおかしくて楽しかった。
おかげでその日のうちに普通に(急に曲らなければ)滑れる様になって...熱中した。

それから数年、しばらく熱中したスキーだったがゴルフに出会う頃には情熱は薄れて来た...世間のスキーに対する雰囲気が変わり、スキーショップの客が減り、それまで売れに売れていた「スキーヤー」という雑誌の売れ行きも極端に落ちて行った。
スノーボードが出て来た事もあってスキー場の雰囲気が変わり、我々団塊の世代がスキー場から去って行ったのだ。

今、同じ事がゴルフでも起きようとしている。
今のゴルフブームを支えて来た我々団塊の世代が、年齢の為に否応も無く去って行かなくてはならないからだ。
スキーの様に「憧れ」があった遊びでさえ、ブームが去ると廃れて行く。
始めるのに反発や拒否反応があったゴルフが、これから先に次の世代の支持を次々に受け続けて行く事は本当に難しい...そう思わざるを得ない。
一番残念だったのは、あのバブルの崩壊で会員権に手を出した多くのゴルファーの夢が打ち壊された事。
ゴルフブームに目を付けた「会員権で大儲けしよう」という輩が、雑誌などでさんざん「憧れのメンバーライフ」なんて記事を読まされていた真面目なゴルファーを騙したのだ。
雑誌などで「理想の」だとか「夢の」だとか称されて祭り上げられた「名門ゴルフ場のメンバーライフ」なんてものは、本来日々の稼ぎに苦労する一般庶民には関係の無い世界だったのに...
ああいう「名門ゴルフ場」のメンバーライフなんてモノは、地位も資産も桁が違う「庶民ではない」少数の人達の為にあり、それは景気に関係なく流行廃れも関係なく、これからも悠々と存在するもの。
我々と関係のない世界の違うゴルフなのだ。

当時我々が遊びに行けるコースはどこも満員状態で、フロントで受付に30分以上、ロッカーは狭く小さく、ハーフは3時間、昼休みは1時間半、全てのショットは待ち待ち...今では信じられるだろうか、駐車場に車が入りきれなくて(殆どが軽や大衆車)進入路や入り口まで車が駐車していた事を。
そんなコースでもメンバーはいたが、会員数は数千人とも数万人とも言われているところばかりで、雑誌の様なメンバーライフとは程遠かった。

それが大衆ゴルフ場の普通の姿だったところに、「O千万円で、メンバー数O百人、夢のメンバーライフを送れます」「これからは家族で優雅なゴルフが何時でも出来ます」「設計家は世界的に有名なOOです」「これは縁故会員権でこの後はもっと高くなります」「会員権は今まで値下がりした事の無い堅実な投資でもあります」「O年経てば、預託金は全額返還します」なんて広告が踊った。

金儲け目的で買ったものもいただろうが、大半は真面目なゴルファーでこの広告に心を動かされた。
時はバブルで景気は絶好調...「土地の評価額の方がずっと高いから大丈夫」、「これは預託金で返って来るお金だ」、「いざとなれば売れば損はしない」、「今の仕事は上手く行っているからローンなら何とかなる」.....そして、「メンバーになれば何時でも安くプレー出来る」「競技にも参加出来る」「ハンデが取れる」「ゴルファーとして他人に自慢出来るコースだ」「ビジターとは違うメンバーとして(あの雑誌に乗っていたような)優雅な時間が過ごせる」「いずれ家族も子供も一緒にここでゴルフが出来る」「やがては子供に会員権を譲ってやれる」...
そんな夢がバブル崩壊で多くの人に借金を残して消えて行った。
中には家業の破産や倒産、借金のカタに家をとられた人もたくさんいた...ゴルフは出来なくなり、子供に続くはずだったゴルフの夢は消え、多くのゴルファーは二度とクラブを持つ事は無く消えて行った。
この会員権ブームが健全なものだったら、今もまだ沢山のゴルファーはプレーを続けていたろうし、その子供達もきっとゴルフを楽しんでいたろうに...

「今から若いゴルファーを増やすいい方法は無いだろうか?」
「....」

我々だって、実際体験してから知ったゴルフの魅力...若い世代が参入するのは難しい。
敷居を低くしたって、敷居をまたごうとする気配も無い。
余裕が無くて、そんな事は選択肢にも入らないのだ。

本当の意味で「景気が良くなる」って言うのは、若い人達がゴルフに興味を持てる余裕を持った時かもしれない。
それまで、「最後にゴルフに夢を見た」我々が、動ける身体がある限りゴルフの魅力を伝える努力を続けなくてはいけない...と思う。
ゴルフを始めて人生は豊かになりこそすれ、「やらなければ良かった」と思った事は一度も無いんだから。