ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

夏も過ぎて行きかけているし

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そろそろゴルフを再開しますか...

左足首の捻挫は完治した訳ではないけれど、普通に歩く事や多少の捻りには傷みが少なくなって来た。
とは言っても、散歩中でも一寸した事で左足首がギクッと返りそうになる事が多い...幸いずっと歩く時には医療用サポーターでカバーしているので、なんとか「捻挫」と言う事態にはならないで済んでいる。
本当に、足首の関節が緩んでしまったらしい。

5月の半ば過ぎからほぼ3ヶ月ゴルフをやっていないが、ともするとこのままゴルフをやめてしまっても良い様な気になってしまうので、この3ヶ月のヒッコリーシャフトのクラブを何本もオクで落札してゴルフの虫を生かしておいた。

なので、ジジーはまたゴルフを楽しむ事になる。
「分相応にね」
ゴルフをやれずにいた間に、そんな言葉が頭の中に定着して来た。
今の自分にとって、ゴルフを以前と同じように続ける事は「分不相応」なのだと認めざるを得ないのだ。

我々団塊の世代の殆どは、貧乏な家の子供だった。
国自体が敗戦の後で貧しかったからなのだが、やがて世界の事情から高度経済成長時代に入る事が出来て、少しずつ右肩上がりでみんなで豊かになって行く時代がやって来た。
給料は毎年上がり、電化製品がどんどん家庭に増えて来て、自動車さえ自分で持つ事が可能になった時代がやって来た。
やっと衣食住のみに必至になる時代を越えて、「遊び」にも目を向ける余裕ができた頃、我々貧乏人達はそれまで金持ちだけが遊んでいた、冬の遊び「スキー」に手が届いて来た。
スキーと言うのは、それ迄自分達が映画やニュースでしか見た事が無い「金持ち達」や北国の人だけの優雅な遊びだった。
スキー場迄が混んでいても、リフトが渋滞していても、不味いカレーが馬鹿高くても、スキー服に身を包み雪の上を転げ回るのは、「それ迄手が届かなかった憧れの遊び」だった。
そのブームは、やがてズボンをずり下げてパンツを見せながらボードに乗って突っ走る、「アンちゃん」たちがゲレンデを占領する迄続き、終わった。

そして次に、それまで我々にはただの金持ちの年寄り達が女を侍らせて、お世辞を言い合う気持ち悪い棒振り遊びとしか見えなかった...ゴルフと言うヤツに、恐る恐る近付いて行った。
と言うより、それぞれ仕事上で必要だとか(当時は接待ゴルフが全盛で、会社で嫌々始めた人が多かった)で「ゴルフ」を体験して...そこで、初めてそれ迄のイメージと違うゴルフの面白さを知った人が急激に増えた。
ゴルフは本来イギリスの遊びで、接待ゴルフでの嫌らしいメージとは全く違う厳しくハードなゲームだと言う事を、それ迄「ゴルフを毛嫌いしていた度合いが強い人程」深く理解すると言う現象が起こった。
そう言う人があのゴルフブームの中心になった。
そう言う人はやがてハンデをとり、競技に目覚め、ホームコース・メンバーライフと言う夢を見るようになった。
貧乏な暮らしから生活に少しだけ余裕ができて、まだずっと上を目指せる夢を見る事が出来た時代だったから....そしてゴルフ週刊誌等で、名門ゴルフ場のそうした優雅なクラブライフがいやと言う程毎週紹介され、殆どのゴルファーはそんなゴルフライフに憧れていた。
そしてバブルになって会員権が上がる中で、懸命に小金を貯めた夢見るゴルファー達を騙すのは詐欺師達に取っては実に容易い事だったろう。
ゴルフ雑誌に盛んに紹介された「憧れのメンバーライフ」は、彼等には遂に手が届く事無く幻と消えた。

夢のクラブライフには参加出来なくても、多くのゴルファーはバブルが弾けた結果のプレーフィーの低下でゴルフを遊ぶ事は続けられた....分相応のゴルフを。
豪華なゴルフ場ではなくても、優雅な雰囲気は無くても、より少ないスコアを目指さなくても、ゴルフの原点の楽しさはある。
野に遊び、その空気を味わい、空の美しさ、木々の季節の変化の美しさ、ショットを打つ間の時間の長さは、それ迄の人生を考えるには十分な時間だし、ボールを打つ事に集中する瞬間は一期一会の人生を噛み締めるには丁度良い。

もう贅沢なコースも、贅沢な食事も、自己満足だけのスコアも必要ない。
遊びに向かう諦念と、自分を認める虚無感と、振り返る人生への後悔と、それなのに自分の存在するその空間の豊潤さ。


分相応に、「ま、そんなものかな」...そんな気持ちで。

さて。