ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

うそ

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「ゴルフで上達するにゃ「心・技・体」の三拍子が必要だ」なんて事が昔から言われているけど、はっきり言ってありゃ嘘だ。

「上達する」って事が、「スコアを少なくする」って事に限った話だけどね。
いいかい、ゴルフのスコアを少なくする為に必要なのは「余計な事は考えない単純でノー感な頭と、他人の事は気にしない自分さえよけりゃいいと言う心」と、「なによりも頑丈で怪我に強い体」と、「馬鹿の一つ覚えのように、どんな時でも同じ事が繰り返し出来る技術」なんだ。

紳士も我慢も修行も練習も、体力と技術を持った人を人とも思わないプライドを持たない悪党には敵わないんだ。
単に数字を少なくする競争だったらね。
まあ、金を稼ぐ手段やインチキな名声が欲しいという、ゴルファー全体から言ったらごく一部の一部っていうヤツらだけどね...そう言うヤツらが結構大きな顔して偉そうな事言ってるのよ、これが。

ただ、そんなヤツらと違って、野打ち野遊び野会話楽しみたいゴルファーには、それなりの「本物」の「心・技・体」ってのが揃っていた方が、よりその時間を楽しめるのも本当だ。

この「心」ってのは、「その日の球打ちコースの風や空気、季節や時の移ろいの変化、その日のパートナーとの会話や個人の回想」なんていう、それぞれの生き様を反映した時間を見つめる余裕ってヤツだ。
地面のボールやスコアカードばっかり見ているヤツには、この「心」ってヤツが無い。

そして「技」ってのは、「同伴した人との会話を楽しめる程度の打つ技術」であり、「時には立ち止まってその空気を嗅ぎ、空を見上げ、来た道を振り返る余裕を持つ為に、他人の打つのを待てる場所に打つ程度の技術」だ。
ミスショットばかりでコースの端を走り回り、同伴したゴルファーと「ティーグランドで別れたらグリーン迄会えない」なんて状態では、楽しみもへったくれも無いからね。

そして「体」だ。
こりゃあ、「ゴルフが出来る体である事」...つまり「その程度に健康である事」なんだ。
故障は勿論、ある程度の年になったら誰でも体のどこかに病気を持っている様になる。
だから70を過ぎてゴルフをやれる事が素晴らしい事であり、80過ぎてゴルフが出来たなら最高だ。
つまり、80になってもゴルフを楽しんでいる人と言うのは、その年までゴルフをやれる程度に健康であり、なんとかゴルフを遊べる金があり、なにより「ゴルフを楽しむ」って気力がある訳なんだから、片手シングルやトップアマと言われるレベルになっても50~60くらいでゴルフが出来なくなる人より、ずっと「凄い」って事なんだ。
そうなりゃ100打とうが200打とうが関係無い。

てな訳で、上手くなるのに「立派な心・技・体が必要」なんて嘘っぱち。
ゴルフ上手くなる(数字少なくするには)だけなら、馬鹿や悪党の方がきっとマシ。
ただし、ヤツらが本当に楽しんでいてゴルフで人生が豊かになったかは別問題。
悪党の心・技・体と、善人の心・技・体は違うって事だ。

その善人の中で、ジジーのゴルフってのはチョとまた違う。
ジーになると、「心」はゴルフをしたい気合いと欲がありゃあいい。
「技」は、プレーする「金」を作りだす技がある事だ。
で「体」は、あちこち痛エって言いながらも、クラブぶん回す力があればいい。

スコアカード?
そんなものゴルフに関係ネエヨ!