ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

八月になれば...

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つい最近まで大雪が降ったり、花粉症で苦しんでたりしてたのに...

もう今日は8月。
10年以上前には根本のキャンプ場でバドワイザーを飲んでいたはず。
他の季節に行く海とは違って、7月末から8月半ばまでの海には狂気と歓喜と何かへの憧れが入り交じった不思議な安らぎがある。
日常ではない別な世界。
海のそばだからこそ感じる興奮と情熱。
ただ波を見ているだけで缶ビールの最高の摘みとなり、波の音が次の缶ビールを美味くさせる。

このわずか一週間から10日の海のそばのキャンプの夏休みが、娘達にとっても無くてなならない夏の行事だった。
彼女達の夏のイメージは、この根本海岸の青い海と青い空と湧き上がる白い入道雲、そして砂浜と岩場の蟹や奇麗な小魚達だという。
飯盒で炊く米は、それだけで電気炊飯器で炊いた米より美味しいと言い、いつも昼に食べるカップ麺のシーフードヌードルとカレーヌードルが最高に美味しかったと言い、夕飯のおかずだけいつも明治屋で買って来た調理済みの缶詰のシチューやロールキャベツが楽しみだったと言う。
オレは朝起きては缶ビール、海を見ては缶ビール、娘達を見張りながら波打ち際で缶ビール、娘達が昼寝をしている時も缶ビール、夕焼けを見ながら缶ビール、皆が寝てから缶ビール....いい気持ちだった。
長く思えたキャンプの日々も、半ばを越えると皆帰らなければ行けない日までの、残りの日々を惜しんで遊ぶ。

8月の第一日曜にはいつも土地の夏祭りがあって、山車がキャンプ場までやってくる。
その太鼓の音と笛の音は、単調だけれども妙に物悲しく、小さな子供達の踊りが郷愁を誘う。

そんな日々は娘達が歩き始める前から始まり、20代も半ばになるまで続いていたが....やがて娘達が就職して夏休みを取れなくなって終わっていった。
まるで昨日の事のように、そんな日々が思い出される。
使って来たキャンプ用品はまだ物置においてあるけれど、彼等が以前のように活躍する事はもう無いだろう。

季節は一瞬で流れて行き、一年は居眠りをした時の夢のように流れ、ただ自分が年老いていく。
自分の年を考えると本当に唖然とする...自分の考え方が枯れて行かないのは自分に対する罰なのかも知れない、なんて考える。
若い人と話していて、いつの間にか自分が同じ様な感覚になってしまい...次の瞬間に、それは自分が参加する権利があるものではないのだ、と気がつく...自分はもう老人と呼ばれる年なのだ、と。

夏が盛りを迎える8月。
しばらく控えめにしていて、太陽から逃げながら自分に出来る楽しみを始めるとしよう。

まず、残り少なくなった「試合用ボール」を買いに行こう(試合に出る訳じゃないんだけどね)。
8月は高原ゴルフとナイターで2ラウンド位して(これはロストボールを買って来て、ボール探ししないで遊ぶつもり)。
9月になるとスコアを残すコンペが始まる。
その時は、試合用ボールで秋のシーズンを真面目に始める予定。

まず8月は、ボチボチ、とね。