ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

毎年やってた海辺の夏キャンプ(車語り・番外編)

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ランクルを買ったからこそ始まった、我が家の年中行事がある。
それは、千葉県館山市の先の太平洋に突き出た海岸の突端にある「根本キャンプ場」での長期滞在海キャンプ。

自分の子供時代の思い出で、夏になると思い出す光景がたった1日の日帰りで出かけた江ノ島の海水浴だった。
黒い砂だし、海は濁っていてとても綺麗と言えるもんじゃなかったけれど、夏の晴れた日の青い海と青い空、モクモクと立ち上がる真っ白な入道雲、磯の匂いと熱い砂浜...自分にとっては絵本の中の「夏の海」と全く同じ様な印象が残っていて、そんな場所でゆっくり過ごす夏の日というのが夢となっていた。
そんな思いを忘れられずに生きて来て、白い砂と岩場の磯と砂浜のある根本キャンプ場を見つけた。
このキャンプ場を利用するには自分にとって4WDは必須で、キャンプ道具をたっぷり積んで砂浜に入って行って最低一週間滞在するという、子供時代からの夢の時間を実現する事はランクルあってこその話だった。

最初にこのキャンプを始めた時には、長女も次女もまだ小学校には行っていなかった。
キャンプ場の砂丘と草地の場所にランクルで乗り込んで、その周りにテントを張り、タープを張り...何年か後からはシャワールームも作り、太陽熱で温水を作ってシャワーにする道具をたくさん持って行って、遊んだ後には温かいシャワーを浴びられる様にしたりした。
テントも、子供達が小さい時には小川テントの4人用で間に合ったけれど、
やがて子供が大きくなると最初のテントは食堂兼物置になり、ひとまわりもふたまわりも大きなテント(ただし安物)で寝るようになった。
そして基本的には車から大きなタープをかけて、昼間はほとんどその中で生活した。
キャンプ生活の基本は「ただ海のそばでゆっくり過ごす」がテーマで、バーベキューはしないし特別に料理をしたりもしない。
ただ、米だけは俺が飯ごうで炊いて、うまい飯を提供する。
夕飯だけは、事前に俺が銀座明治屋で高価だが美味い調理済み缶詰(4人前)を滞在日数分買っておいて、一日一食のご馳走にする。
朝はハムエッグとか納豆とか簡単に。
昼は腹が減ったらカップヌードルかおにぎり(カップヌードルはシーフードかカレー)、おやつは色々。
それに俺専用に缶ビール(バドワイザー)二箱。

ご飯を食べたら、遊ぶのは自由...このキャンプ場は砂浜と磯と両方あるので、遊びには飽きない。
特に磯での動物たちと岩の間のプールでの探検は娘たちが夢中になった。
娘達に買った「磯辺の生き物」の図鑑は、二人で夢中になって読んだり調べたりしていたので、すぐにボロボロになってしまった。
俺は砂丘の高い所に日傘と椅子を据え付けて、バドワイザーを飲みながら娘たちの遊んでいるところをずっと監視しているのが仕事。
幸せな時間だった...

娘たちが小学校に入る前から毎年一回(ほとんどが7月末から8月頭だったけど、仕事の都合でお盆時期に重なったことも2〜3回あった)のこの夏の行事は、娘たちにとって最高位の優先事項だったらしく、中学生になっても高校生になっても、なんと大学生になってもキャンプには一緒に来ることになった。
途中何回か、北海道一周旅とか東北一周旅とかでキャンプをしなかった年もあったが、4歳くらいから24歳くらいまでほぼ20年間海のキャンプは続いた。

その間、車はランクルからサファリ、サファリからいすゞエルフのキャンピングカー、ステップワゴンキャンパーと変わっていったが、ステップワゴンキャンパーで1回だけ長女のみ参加のキャンプをしたのが夏の海キャンプの最後となった。

娘たちが仕事の都合がつかずにキャンプに来れなくなってからは、俺の中でも「夏の海キャンプ」は終わってしまったようだ。

写真は初期のキャンプと、それから10年ちょっと経った後のキャンプの娘たち。
今はもうそれから更に20年以上経ってしまっている...

時の流れは、乗っていた車と共に代わりながら変わりながら記憶に刻まれて行く。

毎年夏の一週間とちょっの間見続けていた、青い海と青い空と、真っ白な入道雲は...きっと今も変わらずにあそこにあるのだろう。
でも、今年はキャンプ場は開かれることは無く、テントの花が咲くことも無い。
海の風を感じながら缶ビールを飲む男も、磯の生き物に興奮して目を輝かす子供もいない。

白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも  染まずただよふ
山を見よ 山に日は照る 海を見よ 海に日は照る いざ唇を君
大島の やまのけむりの いつもいつも たえずさびしさ わが心かな

若山牧水の歌碑は誰にも読まれず、砂に埋れている。