ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

レディースクラブ

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Mさんは「もう二度とやらない」と決めていたゴルフをまたやらなくてはならない羽目になった。
新しい就職先で、毎年2回ある親善コンペに参加する事になったのだ。

もう10年以上ゴルフはやっていない。
前の会社で仕事に役に立つからと20代後半から始めたゴルフ。
学生時代はバレーボールやテニスをやっていたので、そのころはまだまだ体力と運動神経に自信があった。
始めると、すぐにその飛距離は会社の他の人たちを圧倒し、小技を覚えるスピードも速く、30から始まったハンデは2年も掛からないでシングルになり、3年目には会社のトップハンデの0になった。
そうなると会社の中だけの腕自慢では物足りなくなり、まずパブリックコースのハンデをとり、ついには貯金をはたいて遠くのコースの会員権を買ってしまった。
オフィシャルハンデははじめが9、やがて2年程で5まで行った。

...上手いのは誰もが認めてくれた。
飛ばし屋としても一目置かれていた。
しかし、Mさんはコースの月例以外に試合で結果を残せなかった。
コースのクラチャンはもとより、理事長杯、キャプテン杯などの大きな競技は予選通過がやっと。
他流試合として臨んだ各新聞杯、パブリック選手権、アマチュア選手権の予戦...いずれも予選を通らなかった。
遊びで回るラウンドなら70台半ばで平気で回るのに、試合になるとまず80を切れない...どころか90叩き、100近いスコアも出てしまう。
周りの知り合いは不思議がっていたが、Mさんは原因は判っていた。
力が入り過ぎてしまうのだ...気合いが入り過ぎ、力み過ぎ、アドレナリンが出過ぎる...バレーボールもテニスも相手が居て、その相手を気合いとパワーで圧倒して勝って来た自分だった。
それが相手が居ないゴルフでは、全ての闘争心とパワーがただ自分を自滅へと導いてしまう。

あまりにもふがいない試合を続けていた40歳の時、全てをかけてパブリック選手権に臨んだ。
普段ならバックから回って2オーバーくらいでは回っている良く知ったコースで、予選通過は78くらいで回ればいい。
...一週前の練習ラウンドでは1オーバーで回った。

しかし、予選の結果は91!....何もかもが上手く行かず、焦れば焦る程深みにはまる感じ。
最後は情けなくて惨めで、涙が出てくるのが止まらなかった。

...そこでゴルフをやめた。
ゴルフに関係したものは、全部売っぱらったり捨てた。

10年以上経って、リストラにあったあとやっと入れた新しい職場のゴルフコンペ。
自分の道具を揃える気になれず、奥さんのクラブを借りてラウンドに臨んだ。
10年ぶりに握るクラブは、レディース用だったのであまりにグリップが細く、軽く、釣り竿の様にしなった。
10年前まではXシャフトのクラブを使っていたのでタイミングを合わせるのが難しく、スタートホールでは大ダフリしてチョロだった。
あまりモタモタしては失礼と思い、7番アイアン一本でハーフショットのつもりで2打目3打目を打った。
4打目も7番でアプローチして2パットのダボ。
2番は、ドライバーをゆっくりとハーフショットのつもりで打って、180ヤード程の右の土手。
そこからやはり7番2回打って3パットのダボ。
ともかくプレーに遅れない事だけに気をつけた。
アウトは、なんだかんだで51。

インになると、タイミングがあって来て200ヤード近くのフェアウェイに打つ事が出来る様になった。
アイアンも、力半分でゆっくり打てば方向性が良い事を身体が覚えた。
フェアウェイウッドやユーティリティーは一切使わず、1W.5.7.P.Sの5本だけ使って打ちたい場所を狙うようにした。
午後のインは41。

面白かった..というよりだんだん面白くなって来た。
以前の様に思い切り振り回してドラコン獲るとか、ピンをデッドに狙ってニアピンを獲るとか、バーディーを獲るなんて事は一切考えなかった。
気合いなんて全然入らなかったし、カッカとする事も無く、ただ丁寧にみんなの邪魔にならない様にとプレーしていたのに、その丁寧なゴルフが面白く感じて来た。

「本当はMさん、上手いんじゃないですか?」なんて聞かれたが、「いえいえ、とんでもありません。今日は上出来です」と答えた。
でも、顔が自然に綻びてくるのが感じられた。
ああ、ゴルフを終えて笑っている。
スコアが全然気になっていない。
...そんな事、以前はあまりなかったなあ...

「レディースクラブか...」
Mさんは今、初めてゴルフに出会ったような気持ちになっている。