ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

なんでヒッコリーゴルフなのか?

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ゴルフをはじめて30年以上になる。
30代半ばに嫌々始めたゴルフは、始める前の印象と違って実に奥の深い楽しい遊びだった。
始めた当初はまだ他のスポーツでの体力の遺産が残っていたので、仕事で回るプロ達より飛距離が出る事が多かった。
取材で回っているのに、俺が飛ばすものだから力が入り過ぎてミスショットを連発するプロもいて、「頼む、君より先に打たせてくれ」と言われた事もよくあった。

当然その当時のゴルフは「飛ばす事」「スコアを少なくする」事に目的を置いて、ハンディキャップを減らす事が第一の目標だった。
クラブハンデは1年で10になり、すぐにシングルになった。
が、そこからだった。
仕事も急な仕事が多く時間をとるのが大変になり、クラチャンの相手は練習場の経営者や大学ゴルフ部キャプテン出身だったりゴルフショップの経営者...当然週に2回以上のラウンドをしている真っ黒に焼けた男達。
そんな人達に徹夜明けの自分は負け続け...最後に出た試合は日刊ダブルス。
クラブの友人とパープレーで回っても、予選カットは1アンダー...大学ゴルフ部の人間が大挙参加していた大会だったので、前年1オーバーだったカットラインが上がったんだとか。
「仕事やってねえ奴には勝てねえよ」と、捨て台詞して試合参加はやめた。

そんな数字を少なくする事だけが目的のゴルフに嫌気がさして、ゴルフのラウンドに他の楽しみを探すようになった。
ラウンド自体は凄く楽しく、飽きはこなかった。
ただ、ゴルフというものは自分に我慢を求め、自制する事耐える事を求めるゲームで、まるで人間修行の様な側面があると感じていたのに、俺に勝ったゴルファーが修行に耐えた立派な尊敬出来るような男ばかりではなく、試合の結果はラウンドの楽しさと比例しない。
ならば、楽しさのみを求めるにはどうしたらいいか?
まず色々な知らないコースを回る事、次に数字を少なくする事のみを目的に作られた道具を使わない事、自分が何を一番楽しんでいるのか常に自問自答する事...そうしたら、まずパーシモンにクラシックアイアンの「曲げて喜ぶ昭和のゴルフ」になってしまった。

そこに偶然手に入れたヒッコリーアイアンのウェッジで、糸巻きボールを打ってみたら...自分にとっての「目からウロコ」のヒッコリー変態ゴルフに出会ってしまった。
強く叩けば必ず折れる百年ものの古びたアイアン、ヘッドは鍛冶屋が叩いて作ったいかにも手づくりの一品もので、フェースは薄い鉄板一枚。
スイートスポットなんてどこにあるの? と言うレベルだが、これが当たると気持ちが良い。
ウッドも手に入れて使ってみると、これも経験した事の無いシャフトのタイミングと打ったボールの不思議な軌道。
あくまでクラブ破損の危険性が少ないからと言う理由で使う糸巻きボールと合わせて、それから結構沢山のクラブを集めて、これからのゴルフ人生はこのヒッコリークラブと糸巻きボールのゴルフを中心にやって行こうと思っている。
あくまでも初心に帰りやすい素朴な「打つ喜び」がある事が、ヒッコリーでゴルフをやりたい一番の理由。

だから、俺には軽井沢でやっている人達の様な、ノスタルジーやオールドファッションの喜びは無い。
本当はこの感覚を沢山の人に味わってもらいたいのだけど、クラブもボールもとっくの昔に滅びてしまった過去の遺物。
誰もが簡単にこの道具を手に出来ない事と、質がバラバラな事、すぐ壊れて高い遊びになりかねない事から積極的にはお薦め出来ない。

と言う訳で、ヒッコリーゴルフが一部の変態ゴルファーだけの楽しみなのが、凄く残念。