少し前、最近あまり興味の無くなった日本ツアーの試合で懐かしい名前を聞いた。
9月30日最終日の「ISPSハンダカップ秋晴れのシニアマスターズ」という試合。
北海道の登別CCで行われたシニアツアー。
そこで8ホールのプレーオフを制して優勝したのが、佐藤剛平。
以前自分がホームコースとしていた栃木県の芳賀カントリー倶楽部の所属プロで、今は支配人をしている。
このコースでハンデを6とした頃、所属の佐藤剛平プロとは、森口康一プロや斉藤義勝プロと共にラウンドしたり取材をしたりした。
当時、森口プロがハワイのパールオープンで優勝してハワイアンオープンに出場したり、佐藤プロがレギュラーツアーで青木との優勝争いをしたり、なんて時にメンバーは懸命に彼等を応援していたものだった。
が、森口プロはショットの切れは超一流なのに、パットが弱かった。
佐藤プロは168センチしかない身体で、180センチクラスのA・O・Nに対抗しようとフライングエルボー気味のスイングで飛ばしていたために、時にショットが暴れる事があった。
また、最終日に青木との優勝争いを演じていた試合では、やはり3日目までの勢いは無くなり崩れて行ったのを覚えている。
「体力的に4日間の試合は無理なのかなあ...」なんて、メンバー同士が話しあって残念がっていた。
佐藤プロは熊本県の出身で、関西学院大学出身。
21歳でゴルフを初めて、QTには5回目で合格。
1985年ツアープロになり、1987年ツアーデビュー。
力はありながらレギュラーツアーでは勝てず、ゴルフを初めて35年、プロになって27年目に、シニアツアーで2日間競技とはいえ「ツアー初優勝」を果たした。
アマチュアのうちに優勝してしまう人もいれば、一年に何勝もするプロもいる。
アメリカツアーへ行くついでに日本に寄り道して、優勝賞金をアメリカでの経費に当てるつもりで勝つプロもいれば、アマチュアで数多く優勝を重ねながらプロでは1勝するのにに苦労しているプロもいる。
佐藤剛平氏は、今は芳賀カントリー倶楽部の支配人をしながらシニアツアーにも参戦している。
プロゴルファーとしての環境は恵まれている方だと思う。
しかし、彼が35年苦労した後で今年生涯初のツアー優勝を手にした事は、全てのゴルファーに元気を与える出来事だと思う。
「諦めなければ、夢は叶う」のだ、と。
殆ど大手マスコミのニュースにもならない小さな試合だったけど、諦めなかった男の戦いの結果は8ホールの厳しいプレーオフの後、手にしたものだった。
「今度は4日間の競技で勝ちたい」と言う佐藤剛平プロの目に、少し涙が見えた事だって格好悪くはなかったよ。
おめでとう。