ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

忘れられないプロゴルファー...41「デービス・ラブ・3世」

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デービス・ラブ3世。
1980年代から1990年代まで、フレッド・カプルスやグレグ・ノーマンと共にロングヒッターとして時代を作ったプロゴルファー。
だが、地味だ...何か華というかスターのオーラを感じないのは、俺だけだろうか。

有名なゴルフ一家に生まれ、ゴルフをやる環境としてはこれ以上ないようなところで成長した。
父親の「2世」が、マスターズに出場した(1964年4月9日ー12日)翌日に生まれたのも、そういう星の下に生まれた運命みたいなものを感じさせる。
192センチの(一部では187センチともいわれている...どっちだ?)長身と、父親が高名なプロで有名なコーチである事から、ごく当たり前にプロゴルファーになったようだ。

米ツアーで20勝して、永久シード権を持つ。
その他の試合で11勝..ただし何度も2位になりながら、メジャー勝利は1997年の全米プロの1勝に留まる。
マスターズで何度もスーパーショットをしているのをテレビで見ている...しかし、度々優勝争いに加わりながら、何時もどこかでティーショットを左に曲げて脱落していくのばかりが記憶にある。

デービス・ラブは、米ツアーで最後までパーシモンドライバーを使っていたプロとして知られている。
そのスイングはアップライトで、インパクトゾーンで強くリストターンする、謂わばパーシモンドライバーの打ち方そのもの。
それが、ここ一番の左へのミスの原因なんだと評論家の人たちは言う。
何でも左へのミスの多さは、全シード選手中のビリから2番目か3番目らしい。

どうも印象の薄い中、今でもパーシモンのドライバーを使っていたら、目立つし格好良いんだけれどなあ...