ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

北九州市の「市民」って...

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宮城県石巻市の「震災瓦礫」を試験焼却する為の搬入を、また「市民」とやら40人程が反対して妨害したニュースが流れた。
放射能が」「放射能が」と狂ったように言いながら、反対するいい年をした男や長髪の男達。
一体彼等は何を守ろうと言うんだろう。

福島第一から、100キロ離れた石巻市
放射の影響がないなんて言えやしないが、処分を必要とする「元はみんな人が住んでいた生活のかけら」...福島第一の周辺のような汚染された場所ではない。
復興のためには、それを処分しなければならない事情がある。
「絶対に反対!」と叫ぶ「市民」に思うのは、彼等は自分がそんな災害に遭う事は絶対にないと思っているんだろうか?
自分が想像もしなかった災害にあってしまった時に、絶対に周辺の人に助けてもらう事なんかしない、と断言出来るのだろうか?
...私は、こういう事に声高に自分の権利として反対を叫ぶ人間が、逆の立場になると一番助けを当然の権利としてを要求する人間だと思っている。
「何故助けてくれない」「政府や民間の支援はどうなっている?」「もっと援助しろ!」と大騒ぎする奴程、自分の方に何か損なことが起ころうとすると「助ける必要はない!」「そんなものは被災地で処分しろ!」という奴らなのだ。
何度もそういう人間を見て来た。

放射能の影響なんて、狭い日本ではお互い様で、何処にも逃げ場なんてありゃあしない。
そんな狭い所に、便利だからと不完全な原発を多数作ってしまった、それを許した我々自身が悪いのだ。
その管理を、全くの能無しにやらせていた我々が悪いのだ。
これからは、それを自覚して矯正して行かなくてはならない。

そうして、あの醜い「市民」達に聞きたい。
きみらが騒いでいる、瓦礫に含まれているかもしれない放射能より、西の国から偏西風に乗ってやってくる黄砂に含まれる有毒物質の方が、遥かに身体に悪いと思うんだけど?
そういう立派な「市民」達が、かの国にあれほど執拗で嫌らしい抗議をしている姿を、聞いたことも見たこともないんだが...

絆、なんて嘘くさい言葉を信じちゃいないけど、「自分だけ良ければ」が見えすぎるのも腹が立つ。