ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

あれから一年

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(写真は、ネット上でずっと気になっていたものをお借りしました。どなたが撮影されたものか判りませんでしたが、無断でお借りする事をお許しください。)

明日が3月11日。
東日本大震災から1年が経つ。
時折ニュースで復興の進み具合が放送されるが、その歩みは想像を絶する程遅い。

耐え忍ぶ力が信じられないくらい強い、と言われている東北の人々だって、いつまでも希望の無い生活は耐えられない。
強引にでも前に進むための助けが、今こそ必要だと思う。

そんな東北の復興の足を、またあの「市民」という怪物が引っ張っている。
まず被災地に大量に残る「震災がれき」を処分しなければ、復興のスタートが出来ないという状況なのに、その「震災がれき」を受け入れたのは、今現在東京だけ。
いろいろな県が、「被災地復興のために」と受け入れを表明する度に、それに反対する「市民」からの抗議が数百件届いて、立ち往生してしまう。
それは今、9日、10日の段階でも、あちこちで起こりつつある事態。
がれき受け入れの反対理由は「放射能」というのが一般的だが、放射能検査をしたがれきでも「そんな検査は信じられない」と言うのだから、ただ「受け入れたくない」というだけなんだろう。
それに放射能にはあまり関係ない、東北北部のがれきでさえ受け入れ反対は同じなのだから。
(それでも、少量はあるという放射能が問題になっているが、はっきり言って日本中同じ事だろう。)

数日前のテレビニュースで、また、そんな事態の裏にいる「市民」という名の嫌な人間達の存在を知らされた。
それは石川県が、数年前の大地震の時に全国の人に助けてもらった恩返しに「がれき受け入れ」を決めたところ、数百件の反対意見が殺到したという。
しかし、受け入れ地区の人や石川県民の多くは「恩返しに力になりたい」という人が多い。
それで調べてみると、なんと8割が県外からの反対意見だった。
それも代表的なのが、東京から「主婦」が「奇麗な海を子供達に残すために、汚いがれきを受け入れないでくれ」とか。
この「東京の主婦」というのは、本当に「東京の主婦」なんだろうか。
もし本物の「主婦」だったとしたら、これほど薄汚い「市民」はいないだろう。
自分が逆の立場だったら、逆上して「ほかの人の事はどうでもいい! 自分にだけは充分に賠償しろ!金を出せ!保証しろ!補償しろ!特別扱いしろ!」と叫びまくる事間違いない種類の人間。
主婦を騙った、政治運動ならありえる...社会不安と社会の分断を狙っての、いやらしく汚い方法として。

昨日受け入れを表明した長崎県大村市にも、「県内外から約180件の反対や抗議の意見」が集まっていると言うし、鹿児島でも「市民」が反対していると言う。

がれき受け入れを一旦決めて、反対意見のために撤回した地方は多い。
しかし、いずれの場合も反対意見は「県内外から」、多くて数百件程。
地元住民の大多数が、「東北の復興のために受け入れもやむなし」としているのに、この少数の狂気のような反対意見でそれが立ち往生して、東北復興を遅らせているというのは、納得出来ない。
テレビでも短時間、受け入れ反対の「市民」の姿が映っていたが、見た感じでは中年位の顔に狂気の張り付いた不気味な人が多かった。
こういう人間達は、自分がそういう天災になんて、絶対に遭わないと信じているか、「正義の仮面」をつけた心底悪意の人達か、天才的に鈍感で暗示にかかりやすい人間なんだろう。
自分の現在の生活のためには、助けを求める人達を平気で足蹴にできる「人でなしの顔」をしている「市民」。
こういう大被害に遭われた、写真のような人達を見て、我が身の安全なところから平気で「唾する」ような事が出来る「市民達」。
せめて最低限の、「恥を知れ!」 と思う。

多くの日本人は、きっと「明日は我が身」と思い知り、東北を、日本を、なんとか助けたいと思っているのに...

今更ながら、自分の無力さに腹が立つ。
でも、今はただ、出来る事を長い目で続ける事を、覚悟するだけ。

東北の皆さん、きっともう少しの辛抱だ。
いい事はきっとある。
きっといい日が続くようになる。