ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

暑い夏

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朝から車で2時間程走って、父母、それに妹の眠る墓に挨拶に行って来た。
車は冷房が効いているが、一歩表に出るとまるでお風呂に飛び込んだみたいな熱気が押し寄せる、今日の暑さだった。

関東低山が近いこの墓地は、私の世代には全く関係のない土地で、父母の出身地ということで父が購入して用意していた場所...ちょっと簡単に墓参りに、とは行けない距離にある。

年に何回かしか行けない墓だが、お盆の前に掃除と挨拶はしておこうと。
そこに昨年若くして亡くなった妹も、いるはずの場所だし...

暑い夏だ。
父が亡くなったのが7月、母と妹は8月に亡くなった。
暑い夏が好きだったのかもしれない。
無宗教の自分でも、8月の暑い太陽を見上げると何かしら「運命」だとか「人生」だとかを左右する存在を身近に感じる時がある。

病で亡くなった人にさえ思いは溢れるばかりにあるのだから、突然不意打ちのように行ってしまった人々に、残された人の思いは尽きることがない大きさなのは想像出来る。。
...3月11日だ。
どれだけの人が無念の別れを経験したのか。
どれだけの人が尽きぬ思いに苦しんでいるのか。

そうした人々の万感の思いを書いた千本松原の松の薪を、京都大文字焼きで送ってもらおうとした気持ちが、京都の人々に拒否された。
放射能だ?
京都という場所は好きだったが、こんな京都の人間には憎しみすら覚えた。
「もう二度と京都に行くことはない...こんな最低の奴らのいる場所なんか。」

結局、思いが込められた松は、東北で焼かれた。
反響に驚いて、慌てて取り寄せた松には、東北の人々の思いはもう籠っていない。
つじつまを合わせて焼かれる大文字焼きには、きっと京都の人間の醜さが炎となるんだろう。