ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

別れと・・・

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夜が来るから朝が来る

冬が来るから春が来る

別れがあるからまた逢える

ちっぽけな慰めかもしれないけれど
同じではいられない世界は
変わると思うから救いもある

忘れた方がいい事もあれば
覚えていた方がいい事もある
人それぞれだし
事情もそれぞれ

いやだと言っても
朝は来る


(ブログ「人・酒・旅」より)

昨日、京都の大文字焼きが行われた。
結局、陸前高田の千本松原の薪から放射能が検出されたとかで、東北の人が書いた祈りは別な薪に書き写されて燃やされたようだ。
思うのだが、陸前高田福島原発は240キロ離れている。
ここの松に放射能が検出されたなら、東北どころか東京を含む関東の何からでも放射能は検出されるだろう。

今回の京都の人間の陰湿な放射能拒否の騒ぎは、福島原発が水素爆発を起こした当時の世界の反応と同じだ。
あの時、ドイツで日本人の女性が乗り合わせた電車の席で隣に座った男に話しかけられ、「日本人か?」の問いに「そうです」と答えると、「日本人は放射能に汚染されているから」と席を立った・・・と言うニュースがあった。
普通に考えれば、240キロ離れた松から放射能が検出されるなら、それ以内、いやその外側だって全てのものが多かれ少なかれ放射能に汚染されてしまったと考えるのが普通だ。
それを拒否するなら、行き着く所は「京都に東北や関東の人間は入って来るな」となるんじゃないか?
それが想像出来る騒ぎだったから、今回の京都の事件はもの凄く嫌な感じがしたのだ。
でもその京都だって、原発事故の影響からは逃れられないのが真の現実だろう。
本当は放射能がいやなら、日本を出て行くしかない状況まで来てしまっているのではないか。

我々は諦めて、何処かで放射能と折り合いを付けて暮らして行かざるを得ないんじゃないか。

そして、こんな事態になった原因と責任は絶対に突き止めて公開しなくてはならない。
原子力発電の真の安全性の厳しい検証。
津波があるとの警告を、無視した東電の責任者、および組織への追求。
この事態に人災がプラスされたのかどうかの追求。
そしてこの事故に必死に対応し続ける人たちの、真実の記録。
それに携わった人達のその後の健康。
そして、今はてんでんばらばらに言われている、放射能の本当の影響。

それがはっきりしない限り、東北の津波で亡くなった沢山の人々への想いが放射能によって汚され続けているような気がしてしょうがない。
...お盆の前後にある夏祭りは、本来「鎮魂」と「再生」の思いが根底にあると思う。
その夏祭りが、関東・東北の色々な所で中止になっているのもおかしい。
遠くで開かれる観光のエセ祭りなんぞで、そんな東北や関東の人々の思いなんて判ってもらえるはずがないのに、仏教に共通する行事だからと甘えた結果、こんなことになる。
結局、京都という土地とそこに住む人間がどういうものかよく判った、という事が後に残っただけ。

東北や関東の思いは、地元で大事に繋いで行くしかないものだ。
別れを汚すような事は、もうこれ以上しなくていい。