ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

11年前のこの日...

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11年前の3月11日、俺と奥さんは九州の鹿児島に居た。
脳梗塞で体の自由が効かなくなった、俺の一番古い親友の見舞いのために、金を貯めて2〜3年に一回は夫婦で鹿児島に見舞いに行くと決めていた。

かってはプロ野球選手を目指していた足の超速かった男も、右半身が自由に動かせ無くなり、病院に入院したままの生活となった。
若い頃はハンサムで女性にモテ、大恋愛の末に結婚し、仕事も順調に拡大して行ったのに...アナログ時代からデジタル時代への大転換期に乗り遅れて、全てが暗転した「ヤツ」の人生。
俺が運良く優しい女と結婚出来て、一か八かのフリーの仕事を続けている間、よく遊びに来てくれたが...俺は彼の事情をあえて聞くことは無かった。
それが、誰も見舞いに来ない寂しい入院生活を続けていると聞いて、俺達だけは見舞いに行こうと奥さんと決めた見舞い旅行。

レンタカーを借り、病院から外出許可を貰い、「行きたい所に何処にでも連れて行く」とヤツに話して出歩いた目的地...最後にヤツの幼馴染のやっている養鶏場を訪ねていた時だった。
ヤツが懐かしそうに幼馴染と会話していた時、突然彼の奥さんが「大変よ!」と駆け込んで来た。
「今ニュースで東京が大地震で燃えているって!」

「ウソ!」「まさか!?」
慌ててその事務所のテレビをつけると、そこに映ったのは...あの(東北地方の)街中を船が流れて行き、渋滞した車の列に津波が押し寄せる映像。
そして、東京の街中で大きな火事が起こっているような映像(後で分かった事だけど、京浜工業地帯のタンクの火災だった)が重なって、遠い鹿児島からでは関東地方から東北が大地震で全滅しそうな緊迫感が感じられた。


ただ...鹿児島では、全く「揺れ」は感じなかった。
だから、テレビに映る映像には、なんだかSF映画やホラー映画を見ているような現実離れした雰囲気があった。
それでも、「とりあえず病院に帰ろう」という事になって、彼を乗せて病院に向かうと...途中の海岸の道路にはパトカーや消防車がたくさん出ていて、「海岸に近づかないでください!」「海岸からすぐになるべく遠く離れてください!」とスピーカーでがなり立てている。
全く静かな景色の中で、大音量で異常に興奮した様子のスピーカーからの音声には、ひどい違和感を感じた。
それでも彼を病院に送り、ホテルでニュースを見ていると、「これは大変なことになった」という思いが大きくなって来る
「俺たちの家も崩れ落ちた可能船が高いぞ」「娘達に連絡を取ろう」...が、電話は混み合って繋がらない。
(しばらくして娘からの電話が繋がって、全員の無事を確認)

ニュースで見る被害の状況は刻一刻と酷くなる一方で、どれだけの大災害だったのかが少しずつはっきりしてくると、焦りも出てくる。
「まず、東京に帰れる手段を探そう」
...とりあえず全ての残りの予定をキャンセルして、鹿児島空港に駆けつける。
幸い、まだ東京行きの飛行機は飛んでいて、本来は使えない切符だったけれど「こういう状況なので、空きがあればすぐに乗りたいのですが」と言う申し込みを航空会社が「非常事態」として受け付けてくれて、ラッキーにも早い時間の飛行機に乗ることが出来た。
この便の後はかなり乱れたと聞いたので、これはラッキーだった。

しかし、羽田空港に着いたはいいけど、そこから家に帰るのはまた大変な苦労があった。
娘達も、震災当日は「帰宅困難者」となって、家に帰るまでに大変な苦労と時間がかかったらしい。

家にやっと帰りつくと、俺の仕事部屋は本箱が倒れてメチャクチャ。
ただ、仕事で使っていたパソコンは倒れもせず、仕事には差し障りがなかった。
しかし...この東北地方や北関東の地震津波の大被害は、それ以降の生活に大きく影響した。
特に福島の原発が原因の「計画停電」は、仕事にも大きな影響があり、電気がない生活の不便さを身に沁みて理解した。

「運良く」と言うのだろうか...大地震を体験しないで済んだ俺達だが、その後被害を受けた地方を旅した時に、あの大災害が変えてしまった世界にいろいろなところで接して驚く事になった。

何度も旅して、馴染みがあった古い町並みは殆どが流れ去って消え、みんな新しい「違う世界」になってしまった。
安全のために仕方が無い事は分かるけど...美しい海がどこからも眺められた景色は「堤防で海が見えない」場所が殆どになり、海の近くで続いていた伝統ある生活の様子も、海までの距離が今までの何倍も遠くなってすっかり無くなった。

もう、以前の様な「海と一緒に暮らすその地方独特の生活の景色」は、二度と戻って来ないんだろうな...って事が、「通りすがり」の無責任な旅行者としてちょっと寂しい。


俺は、東北の海沿いの街や村の昔から続いて来た景色が、本当に好きだった。

 

あれから11年。
俺の親友も亡くなった。

しかし、鉄道も復旧し、街も再建されつつある。
あと、必要なのは人だけ、とも。

今は、コロナ騒ぎや戦争のマイナス要因はあるけれど...東北の人々は粘り強い。

どうか、また美しい自然と人の生活の姿を、後世に残して欲しい。

出来る事は、応援したい。