ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

3年前...

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3年前の今日、東北大震災が起こった。

その日、自分は遠い九州の鹿児島の地にいた。
脳梗塞で倒れた親友の見舞いに、2年経ってやっと行けた日だった。
かって100メートルを11秒で走った男が、付き添い無しでは歩けなくなったのが悲しかった。

レンタカーを借りて、その親友が「行きたい」という所を順番に訪ねて行った。
彼が元気な時に行っていた場所を廻って、最後に彼の幼なじみだと言う養鶏をやっている人の所を訪ねた。
そこで話を始めた時に、そこの奥さんがただならぬ勢いで飛び込んで来た。
「今、関東や東北で大地震が起きて、東京が燃えているわよ!」

鹿児島ではまったく揺れなどは感じなかったが、彼を病院に送ったあとでホテルへの帰り道にはたくさんの消防車がやパトカーが走り回っていた。
「海岸に近づかないで下さい!」
「海から上がって下さい!」
港や人が入る海岸などでスピーカーが最大音量で怒鳴っていた。

ホテルのテレビで見た震災の映像は、まるでパニック映画のCG映像のようで、ただただ信じられない眺めだった。
陸地の上をゆっくり動く波の先端に、オモチャの様な家や車がどんどん飲み込まれて行く。
多分そう言う映像は流さなかっただけなんだろうけど、人の姿が映っていないので不思議なくらい現実味がなかった。

...18000人以上が犠牲になった。
その被害が、福島原発の半分人災の事故によって印象が薄まってしまった。

そして、この災害に多額の義援金を送ってくれた、アメリカ、台湾、タイ、オマーンなどの国の人々の気持ちが嬉しかった。
この恩は忘れない、と日本人は思ったはずだ。

それから3年経った。
復興は遅すぎないか?


これだけの災害は、住民の人々みんなを納得すさせるやり方は難しい。
強引でも反対が多少出ようとも、スピード最優先で進めなくてはいけないんじゃなかったか。
時間がかかる程、被害を受けた地域の生活のつながりと伝わるべき歴史が消えて行く。
...もう昔から伝わって来た地域の生活の歴史を自分の子の代に伝えるより、新しい地域での新しい歴史と生活を進める方が大事になって行く。


3年目の3月11日。
反省するのは、過去の記憶として本箱の奥に整理してしまった様な自分の気持ち。
一日生きる事の大事さを教訓としたはずなのに、つい流されてしまっている自分。
いきなり人生を終わらせられた人々の無念を、感じ続ける事が難しくなってしまった今の状況。



すみません。