ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

もったいない

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そのオープンコンペで一緒の組になった人は、もうすぐ80歳というベテランゴルファーだった。
「私は60歳で退職してから、ずっと働いたことはありません。」
「今は少なくなりましたが、平均年間100ラウンドしてました。」
「関東地方のゴルフコースの9割は回りました。」
「イギリスやアメリカの有名なコースも、大体回りました。」

食堂での会話でも、日本のプロゴルフ界の実情やら、アメリカの最新のギアの情報やら、ゴルフスイングの練習方法やら練習道具やらに実に詳しい。
ファッションも流行の物に詳しいし、自分も石川遼ばりに右手にサポーターをしたりして、若々しい。

立ち居振る舞いも、いかにも会社員時代は偉かった人のような余裕と威厳を感じさせる。
キャディー付きのプレーだったが、クラブの受け渡しやちょっとした会話も洒落た感じを見せて、優雅なジェントルマンという風情。
ゴルフの歴史などの知識も、それなりに勉強しているようにも見えた。


...それなのに...
「キャディーさん、6インチありだよね?」
ボールのある場所にたどり着くと、いきなりしゃがみ込んでボールを掴む。
一見してどんなにいいライにあるように見えても、「全部」座り込んでボールをつかみあげて、芝の上にティーアップされたようにそーっと置く。

背筋を伸ばしてキリッとした、いかにも洒落た老紳士という姿が、いきなり「うxこ座り」してボールをつかみあげ、そのままそーっと細心の注意を払ってボールを芝の上にいじましく置く姿は...
それ迄の、威厳やかっこよさを全部トイレに落とし込んで流してしまったように情けなく...

ほかの同伴競技者は、その姿にお互い顔を見合わせてから、彼を見ないようにする。

もちろん、ローカルルールで許されているんだからペナルティーではない。
でも、彼の経験や蘊蓄豊かなゴルフの話は、平気でボールにさわれる神経と一致しない。
普通は、ゴルフが好きでそれなりに深くゴルフに接している人程、プレー中にボールに触ることを嫌悪する。
なぜなら、ゴルフは「play as it lies.」というのが基本中の基本だから。
だからゴルフは「ライのゲーム」ともいわれている訳だから。
ゴルフというゲームは、基本ティーショットを打ってからグリーンに乗せる迄、決して手でボールに振れてはいけないのだ。
(もちろん、アンプレヤブルやボール確認のため、などのいくつかの例外はあるけれど)

ゴルフにそれなりの時間とお金と情熱をかけて、平気でボールを触るゴルファーになるというのは...じつに「もったいない」。
彼がボールに触る度に、彼を見る目が「残念な人」という風になってしまうのが「もったいない」。
自分より遥かに年上でゴルフ経験の長い人...これ迄数十年そうして「ゴルフみたいな物」をゴルフだとして楽しんで来た人に、何も言うべき言葉は持ってないけれど...ただ感じるのは「もったいない」だった。

彼が平気で、あるがままのボールを打つ人だったら、どんなにカッコいいと思えたか。
全てのボールに触って、芝の上に時間をかけて慎重に置いた所で、どれほどショットが違うのか...スコアが良くなるのか、差はないだろうとしか思えない良い状態のフェアウェイで、触るたびに彼の姿がみすぼらしく思えてくる...なんて「もったいない」ことだろう。

なにより「6インチあり?」と聞いて、「6インチプレースありです」というキャディーに「おお、良かった」という気持ちが「もったいない」。


(ただ、どんないい状態のフェアウェイでも「6インチプレースあり」というゴルフ場にも問題がある)...これは後ほど。