ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

日常の感動は...

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日常の感動はひと眠りで忘れてしまうが、「完璧に打てたボールがイメージ通りに飛んで、ピンの根本にぴたりとついた」そんな瞬間は生涯忘れない...ピーター・アリス。

...まあ、本物のゴルフ好きあるいはゴルフ狂の言葉だろう。
ゴルフをやらない人には、とても理解出来ない言葉だと思う。
それなのに...れっきとした知識も教養も、ついでに地位まであるような大人達が、こんな言葉に「うんうん」とか「あるある、そんなこと」なんてうなずいてしまうゴルフって...

普通に考えれば「日常生活の中の感動こそ人生の喜びだ」とか「どこにでも感動することはあるし、ひと眠りで忘れるなんて事は無い」...そんなひと眠りで忘れてしまうような「日常」を送っている人間は不幸な奴...なんていうのが当たり前だろう。
たかが遊びで、たかがゴルフで、こんな「生涯忘れない」感動だなんて...って。

それが、ゴルフを始めて90を切るくらいになると、この言葉が実感として判ってくる。
ゴルフというものを始めると、始めは誰でもその「飛距離の魅力」に熱中する。
人間がやるスポーツで、人の力で「ゴルフより遠くに飛ばす」スポーツはないのだ。
誰でもが、その「飛んで行くボールの浮遊感」に酔ってしまうのだ。
どうやったらもっと飛ばせるか、もっと美しく、もっと遠くに、あるいはもっと高く、あるいはこんな風な弾道で...
...勿論、そのまんま「飛距離命」で、死ぬまで飛距離の追求を続けるゴルファーも多いんだけど、普通はもう一つのゴルフの魅力に出会い「新たな感動のもと」の追求を始める。
それが、「ピンに絡む球を打ちたい」。
どんな場所、どんなライからでも、青空を切り裂いて緑のグリーンに向かう白い球筋...難しいグリーンの難しいピンの位置に対して、デッドに打ち込んでぴったりとつけバーディーを奪う...
当然、そんなショットなんて極稀に(あるいはまぐれで)しか打てないもんだから、打てたら感動するし(スコアそっちのけでね)、忘れない
そんなピンに向かっていく白い弾道を、イメージ通りに宙を飛ぶボールを夢に見るようになる。

実際自分もゴルフを始めてしばらくは、パーシモンドライバーのペーパーファイバーのインサートにドンピシャで当たった糸巻きバラタボールの打撃音と、低く出て宙を3段ロケットで駆け上がる白いボールの弾道の夢を見ていたんだけど...
すぐにゴルフの夢は、イメージ通りに宙を飛んでピンに絡むショットの夢に変わっていった。
勿論今でもゴルフで見る夢は「ピンに絡む白いボール」。

...言い換えればゴルフって奴は、こんな言葉に納得するくらい「日常生活の感動を薄くさせるような」強い感動を与えてくれるゲーム、というわけなんだろう。