ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

忘れられないプロゴルファー...40「カルビン・ピート」

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カルビン・ピート、PGAツアー12勝。
タイガー・ウッズが登場する前の、黒人最高のプロゴルファー。
なにより目を引くのは、1981年から1990年まで10年連続フェアウェイキープ率1位という、群を抜くショットの正確性...その数字は「フェアウェイキープ率82パーセント以上」を誇る。

貧民街の黒人家庭の19人兄弟の7番目として生まれ、兄弟を食わせるために学校は日本でいえば中学校で中退、肉体労働を続ける。
やがては車で流れ歩きながら、宝石や衣類を売って歩く生活を送り、宣伝のためにと前歯に2個のダイヤモンドをはめ込む。
23歳の時に結婚、と同時にゴルフに接するが、本格的にゴルフを始めたのは二クラスがゴルフで莫大な金を稼ぐのを知ってから。
家を売り払ってトレーラーハウスに住み、先生をやっていた女房に食わせてもらいながら、ゴルフを自己流で練習する...10年後、3回目のプロテストに合格しPGAのメンバーとなり、4年後にツアー初勝利をあげる。
この当時の彼の格好は、ベン・ホーガン並のハンチングにウェスタンブーツ、黒いサングラスに、前歯に2個のダイヤモンドの入れ歯、という「トンデモ」スタイルだった。
さすがにその格好は、奥さんの強い反対でダイヤモンドも取って当たり前の格好に戻すが、そんな格好をしていた動機には、当時まだPGAに残っていた黒人選手への人種差別に対する反発もあったようだ。
なにしろ、1950年に改正されるまで、PGAメンバーは「白人のみ、コーカサス人種のみ」となっていた。
カルビン・ピート自身、「ライフルで撃ち殺す」と脅されたり、トレビノがマスターズでロッカー室に入れずに、駐車場で靴を履き替えてコースに行った、なんて事さえあったのだから。

カルビン・ピートのスイングは、子供の頃に左肘を複雑に骨折したために、左腕がまっすぐ伸びないという特徴がある。
そのためにテンポも速くできない点と合わせて、練習量の多さでショットの正確性を高めていくことしかできなかった。
飛距離は最大で250ヤード,フェアウェイをキープしなければ勝負にならなかったろう。

後年、珍しくショットが曲がり続けたラウンドでNRしたことが、数字が悪くなることから逃げるためだと非難されて、問題になったりした。

今はシニアツアーで、相変わらずのフェアウェイキープ率でまわっているようだけど。

...カルビン・ピートは、今の「タイガー・ウッズの時代」を、どう感じているんだろうか...