ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「美しき狂気」の目をした人達

 

俺より若い漫画家の鳥山明氏が亡くなった。

個人的な付き合いは全く無かったが、当時色々な雑誌にカットを描いていて、そのキャラクターが彼の漫画にかなり似ていて「ああ、俺もこんな漫画が描きたいなあ」なんて思うこともあった、デビュー当時から好きな漫画家だった。
ただ、俺には彼らのように「俺は漫画家になる!」という確固たる目標や情熱が無く、「運良く」なれたイラストレーターという仕事(実質はカットマン)を日々こなすのに精一杯だった。

デザイナーの言う通りに描く広告イラストの仕事から、自分のアイデアや思いつきが生かせる雑誌のカットの世界に移って、その仕事にようやく慣れて来て、それまでのリアル中心のイラストから「漫画っぽいの描いて!」という注文に合わせてアメリカ・ヨーロッパのイラストや日本の漫画の世界のキャラを参考にして、仕事をこなしていた。
...初めから「自分のキャラ」などあるはずも無く、毎日たくさんのカットを描いているうちにどんなキャラでも描けるようになって来て、キャラごとにペンネームを作り、仕事も速くなり生活が安定して行った。

当時、好きな漫画家は永島慎二から始まって、同時代では大友克洋鳥山明あたりまでだった。
いい仕事を続ける彼らに影響されて、何度か「俺も漫画を描いてみようか」なんて事があったが、忙しい仕事の合間に描き始めたこともあって,,,結局全て挫折した。
それに、主人公のキャラだけ描くなら負けないと思っていても、その背景や効果、流れや描き込みの量・精度、そして漫画の世界の「決まりごと」やシステムに慣れなくて、俺はそれまでの仕事を続ける「楽な方」を選んでしまった。

彼らがアシスタントと共に、夜も寝ないで漫画を描き続ける日々に、俺はカットを描きながら酒を飲み、キャンプをしてパラグライダーで遊ぶ日々を選んでしまったのだ。
,...そして、やがてゴルフの仕事に出会い、ゴルフプレーの面白さに触れてしまうと、もう俺は「楽しいゴルフの日々」から飛び出て「夜も昼もひたすら漫画を描く世界に入る」ことなんてとても出来なくなった。


今までの人生で、俺も何人もの有名漫画家と会い、飲み話す機会があったが...彼らの目に例外無く少なからぬ「狂気」の炎を感じた。
俺のように「楽な仕事」に逃げずに、ひたすら机に向かって漫画を作り上げた気迫が、常人の俺に「狂気」と感じさせたんだろう。
...そうして、それは「常人の俺(遊び好きって事)はとても漫画家にはなれないな」なんて事を素直に納得させる迫力でもあった。

後年ある編集長から、週刊漫画誌の巻末4ページカラーの連載をやってみないかと誘われた時に、散々考えた挙句「遊びすぎた俺は、あの狂気の世界には入れない」と断ったことがほろ苦い記憶と共に残る。
...でも、結局俺にはそれで正解だった。
(漫画作りに苦しまなかったおかげで)出来た時間は、俺の「楽しい人生」の時間の全てとなった。


...あの美しい狂気の目の元に、修行僧のように命をかけて漫画を描き続ける漫画家たちを、だから俺は本当に尊敬している。
と、同時に世界に通じる文化を作り上げた彼らを羨ましくも思う。
あなた方は凄い!本当に凄い...

合掌。