ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

再手術後3ヶ月のチェック(カテーテルアブレーション)

一病息災って言葉がある。
「どこも悪い所なんて無い」って自慢している人よりも、何か一つ病気を持っている人の方が体調に気を使うから、結局長生き出来る...なんて意味なんだが...自分についてはまさにそうだった。

約30年前、仕事や人付き合いで疲れ果てた睡眠不足の状態でホームの12月の月例に臨み、脈が驚くほどバラバラになる不整脈の発作を経験してリタイアしたのが事の始め。
途中でリタイアして、家に帰ってからも不整脈が収まらないので市立病院の救急に車で駆け込んだら、心電図をとっていた医師が「こんなにデタラメな音を他の患者に聞かせたら不安になるので音は切ります」なんて言って、電話で先輩医師らしき人に点滴の指示を聞いている...「これ以上入れたら危険なんですね」なんてのが聞こえてきてゾッとする。
が、2時間以上たっても不整脈は治らず一旦家に帰ることになり、自分の車で帰ろうとしたら「自分で運転して帰らせたら、私の医師免許が剥奪される」と言って、無理やりタクシー呼んで帰らされた。

それ以来市立病院に定期に通院し、毎回血液検査で体の状態をチェックし、不整脈の薬や高血圧の薬などをいろいろ処方してもらい、毎日薬を欠かさず飲み続ける生活となった。
特に不整脈の発作が起きた時に、血液中に血栓が出来てどこかで詰まって障害が出るのを防ぐために「(血液を固まりにくくする薬)ワーファリン」はずっと飲み続けた。
しかしその薬を飲んでいると、怪我をした時に血が止まりにくくなり、また「食べ合わせ禁止」の食品も多く(例えば納豆・青汁・海苔・ほうれん草など)、結構不自由を感じていた。

しかし、そうした生活をずっと続けていても不整脈が治る事は無く、暑さや睡眠不足.疲れなどの外部要因と、ストレスなどの気持ちの問題とで起こる不整脈の乱れは減る事は無く増える一方だった。
そこでネットでもっと「根治的な」治療法を探していて、見つけたのが「カテーテルアブレーション手術」。
体を切り開く訳では無いので、手術後の影響は少ない。
不整脈の原因となる「誤信号を出している場所」を焼く事で、「根治」を期待出来る。
「では、その治療をどこで誰から受ける?」という事になって、途方に暮れる。
30年以上前なら医療関係の人との付き合いもあったが、当時は全くアテが無い。
そこで、藁にもすがる思いで(でも、まったく期待はせずに)このブログで助けを求めた。

そして...世の中捨てたもんじゃ無い、としみじみ思った他人の好意。
驚いたことに期待もなく書いた記事に、読者だと言われる「TAKE」さんがメールを送ってくれた。
「自分もカテーテルアブレーション手術をやっているけど、あなたのお住まいの近くの病院と名医を紹介します」と。
まさに「闇夜の灯台、地獄に仏」の気持ちで大感謝。
そして、近くの獨協医科大学埼玉医療センターの中原先生を紹介して頂いた。
中原先生は全国のカテーテルアブレーション医に、手術のデモンストレーションをする立場の、この治療法のパイオニアだった。
TAKEさんの紹介もあって、すぐに手術をしたのが5年前。
(ワーファリンからも解放されて、納豆が食べてもいいようになった!)
それ以降しばらくは不整脈の心配はせずに生活して来たが、年齢が増えると伴に再び不整脈の発作が増えて行き、今年春先には脈がバラバラになった状態が何週間も続くようになってしまった。
そこで中原先生に相談して、今年6月に5年目の再手術...手術の方法も、前回は問題箇所を「点」で焼く方法だったのが、今回は「面」で焼く方法に進化して、より良好な治療結果が期待出来る、とか。
手術自体は本当にあっさりと終わり、期待と不安の混じったその後の生活は「脈の飛び」は時折感じるものの、手術前のような展転勝手な乱れは全く出ない。
この夏の暑さと熱帯夜に、かなり不安を感じていたが...脈の「ベース」のリズムに乱れを感じないのが有難い。

手術後の容体は、2週間を過ぎると火傷させた部分が安定してくるので、これからはますます発作が出難くなると聞いて、一安心。


(...大体、もう世間じゃ「高齢」と呼ばれる年齢なんだから、若い時の様な元気で無敵な脈を期待するのがおかしい。
俺はジジーとしての自覚が足りないんだな。)

 

(俺は「飛んで走って、歌って踊れる」ジジーを目指しちゃいない。
俺は「他人よりも、ちょっと食べてちょっと飲めて、歌って飛ばせる」ジジーゴルファーになりたいだけなんだけど。)