ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

掘っくり返し屋のノート『駒澤雀奇談』・・・10

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駒澤のコースは開場当初クラブハウスが無かったが、直後にクラブハウスとして大正博覧会の際に建てられた迎賓館を調度品込みで建設費の15分の1程という格安で払い下げてもらい(今の価値では1800万~2400万円位か、しかし分解と運搬・組み立てて3倍以上の値となった)翌1915年には組み立てが完成している。
しかし、内部にはバーは在ったが食堂というモノはなかったので、食事と云ったら飲み物と一緒にビスケットやオイルサーディンを乗せたクラッカーをつまむ程度で、しっかり食べたい場合は弁当持参か、クラブハウスが無かった時の様に駒澤村の蕎麦屋に店屋物を頼んでいた。
その後は従業員の一人が見様見真似で丼物を出すようになったが、1922年時の経済雑誌には休日に洋食の名店東洋軒からコックを呼んでいる事が書かれており(安田幸吉も同じ回想をしている)、最終的には食堂にコックが在駐した。
その中で少年コックの瀬戸島達雄はゴルフの方に興味を示し、到頭プロとなって、戦前期にレッスン、関東PGA役員として活躍し、戦後間もないころに(愛飲家であった故か)咽頭癌で夭折したのが惜しまれた人物であった。

休日に出張コックが来ていた1922年12月のある日曜日。日本郵船の林民雄や戦時中にJGA会長(当時は大日本体育会打球部)を務めることに成る井上匡四郎、横浜正金の巽孝之丞ら実業家グループ4人がプレーを終えてクラブハウスのテラスに陣取り、ボーイさんに『何か温かいものが食べたいな』と軽食を求めた。
ボーイさんは『近くに大正焼(注=今川焼のようなものらしい)が売っています。』と答えると、林らは『じゃあ買ってきておくれ』とお金を渡してお遣いに出した。
間もなく大正焼の入った新聞包みを持ってボーイさんが戻ってきた。それは8個で10銭(今の500~600円)であったというから極々普通の駄菓子といえるだろう。
湯気の立っているそれをおいしそうに食べている一団。それを見た傍の鍋島、黒田、細川など旧大名家の華族グループは巻き込まれるのを恐れたのか、駄菓子への侮りか、林達からそっと離れた。のだが、それに目敏く気の付いた林が
『おーい皇室の藩屏!お前さんたちは一個で10銭の菓子は食ってるだろうが8個で10銭はあるまいよ、食べてごらん』
と大正焼を半割にして殿さま連に渡した。
最初下々の物(しかも新聞紙で包んでいる)と拒否反応があったが、意を決して食べてみると、焼き立てのそれはプレー後の体に染みわたる美味しさであった。
こういった事には中々うるさいお殿様たちも『成程旨い』と再びボーイさんにお遣いに走らせる事となった。
※安田幸吉によると、コースの傍に今川焼のお店があり、林はこれを食べるのを楽しみにしており、良くキャディにお使いに走らせ、多めに買ったそれを彼らにふるまうのが常であったというから、上記の話の裏付けになるだろうか。

 

 

 

主な参考資料
日本のゴルフ史 西村貫一 雄松堂 1995(復刻第二版)
The Bunker 1915年12月号~1916年11月号
阪神ゴルフ合本(1922年4~6,9月号全四号)
・東京ゴルフ俱楽部50・75・100年史 1964,1991,2015 
・『東京ゴルフ倶楽部史料室だより№4 東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの全て』2007
・『東京ゴルフ倶楽部(会報)』2014年冬季号-100周年特集号
・『INAKA第五巻』11章『 Golf In Japan』収録 North-China-Daily News Hindie筆
『Rokkosan A Thing of Beauty and a Joy for Ever』 1916
・『INAKA第十巻』掲載『Golf of Yedo』 1919
・『野球界』1919年12月号 鈴木寅之介 『ゴルフ遊戯に就いて』
・『婦人公論』1929年8月1日号 『東西婦人ゴルファ』より室町英二『東京の名流婦人とゴルフ』
・『東京朝日新聞』1922年12月20日朝刊五面
・『Golf Dom』1923年6~8月号『So This is Golf!(1)~(2)』
・『Golf Dom』1930年8,10~11月号、1931年1月号、1932年12月号より、『ゴルフ座談会の記(2)~(4),(6)~(7完)』
・『Golf Dom』1930年10月号 林愛作『駒澤になるまで』
・『Golf Dom』1934年10月号 C記者『森村市左衛門氏にゴルフを訊く』
・『Golf Dom』1935年3月号『ゴルフ漫談 田中善三郎氏との一問一答』
・『Golf Dom』1937年8月号及び9月号『ゴルフ規則を訊く』
・『Golf(目黒書店)』1931年11月号高木喜寛『ゴルフ発祥の時代』
・『Golf(目黒書店)』1932年2月号及び3月号『ゴルフ座談会』
・『Golf(目黒書店)』1933年2月号大谷光明『ゴルフ思出の記(二) 六甲から駒澤へ』
・『Golf(目黒書店)』1933年3月号大谷光明『ゴルフ思出の記(三) 駒澤をひらいた頃』
・『近代ゴルフ全集1』収録、田中善三郎『ゴルフむかし話』 中央公論社 1959
・『夕刊フジ』 人間グリーン257 鍋島直泰12『古く懐かしきキャデー』
・『夕刊フジ』 人間グリーン263 鍋島直泰18『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(上)』
・『夕刊フジ』 人間グリーン264 鍋島直泰19『忘れえぬ人・相馬孟胤さん(下)』
・『ゴルフ80年ただ一筋(第二版)』 安田幸吉  ヤスダゴルフ 1991
・『わが旅路のファウェイ安田幸吉ゴルフ回想記』 井上勝純  廣済堂出版1991
・『人間グリーンⅣ 小坂旦子・三好徳行』   光風社書店 1978
資料はJGAミュージアム及び同本部資料室、国立国会図書館昭和館図書室で閲覧他、筆者蔵書より

参考サイト(本文2の執筆で閲覧)
鹿島建設ホームページより 鹿島の軌跡~歴史の中から見えてくるものがある~ 第25回『東京ゴルフ倶楽部と朝霞コース―日本初の常緑芝のゴルフ場(2009年4月28日公開)』
・Sports Network Japanホームページより Sports Advantage Vol.708-1 (017年3月13日公開) 岡邦行『原発禍!「フクシマ」ルポ87』
・鹿島カントリー倶楽部ホームページより『鹿島カントリークラブの施設ご案内』

 

 


(この記事の文責と著作権は松村信吾に所属します。)