ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

11月も半ばになって

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地味だった関東の紅葉も、少しは綺麗になって来た。
銀杏やアメリハナミズキの街路樹が、微妙な色のグラデーションをつけて来ている。

あいつの葬式には、長男は来てくれたが二人の娘は来なかったと聞く。
生きている時には、とうとう家族の誰も見舞いには来なかった、とも。
どんな事情があったかは全く知らない俺だけど、女に関することではないのは確かだとか。
散歩しながら奴のことを考えていると、「運がいいとか悪いとか~」なんて歌の文句が頭に浮かぶが、奴の人生は運が悪かったと言えるのだろうか...それとも...。

奴は野球をやっていた...生涯野球一筋、とうとうゴルフには踏み込まなかった。
俺は思う、野球は確実性のスポーツ、ゴルフは不確実性のスポーツ。
野球には直接対戦する相手があり、そいつに勝てるかどうかが全て。
投げる事と打つ事で、相手に勝つ事...そこには作戦と駆け引きはあっても、「運」の要素は極めて少ない。
基本、強いものが勝つ。

しかし、ゴルフはどんなに努力しても「運」の要素は無くならない。
どんなに良い一打も運次第で最悪の状況になることもあれば、大ミスショットも運が良ければ結果オーライの大チャンスに成り得る。

そこが、ゴルフにハマるハマらないを分けるのかな、と。
運を嫌う者と、運が悪けりゃしょうがない、と考える者。
俺は「運が悪けりゃ死ぬだけさ」、なんて考えてこのフリーのイラストレーターを生きて来た。
基本俺は運が悪い人間と考えている...だから、「生きることも喧嘩をする時も自分一人、味方はいないし、誰も助けてくれない」というのが基本の考え。
だから喧嘩を一人で始めた時に、あてにしていないのに味方についてくれる人間がいたりすると、驚くと共に非常に有難いと感じる...そして、そうした人は一生の恩人、友人と考える。
そうした人には必ず恩を返したいと考える。
そうやって結果は、期待してなかったのに沢山の人に助けられて来たのが俺の人生。
だから、今はそうした「人々のおかげで生き延びられている」という感謝しかない。

ゴルフもそれに似ている。
不運は当たり前、運が良い時には感謝しかない。
だから今だにゴルフを好きなんだと思う。

とうとうゴルフをやらなかったアイツ...奴は俺の知らない人生の時間を、どうやって生きて来た男だったんだろうか。
奴の方が一方的に来るだけで、俺の方からは殆ど彼に話さなかった付き合い。
価値観が似ているのかどうかも、どんな女に惚れるのかも話したことは無かった。
もし奴がゴルフを始めていれば、フェアウェイを歩きながらそんな話も出来ただろうに。