ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

一年振り以上の「上京」...考えると恐ろしい

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銀座まで1時間もかからない、ダ埼玉県に住んでいて。
俺も奥さんも東京育ちで、東京で出会って...稼ぎが少ないので「とりあえず」都落ちして「ダ埼玉住民」になった。
まあ、「稼げるようになったら住み慣れた東京都内へ」と考えていたのに...気がついたら、それから50年近く。
引っ越すたびに東京から遠くなり、二人の娘は全く普通の埼玉原住民(笑)。

だけど...俺の仕事相手はみんな東京都内なので、俺は普通に一週間の半分は東京に出かけて(電車1本、1時間もかからないのでね)、打ち合わせと称して酒飲んで騒ぎ・歌い・語らうことをずっと続けていた。
ただ、ここ最近のネットの発達のおかげで、俺の仕事は10年以上前から家に居るだけで問題無く出来る状態になっていた。
...それは楽なんだけど、ヘタすりゃ家に(ダ埼玉に)引きこもり状態という事であり、感覚まで「埼玉県民」になる事であり、運動不足で肥満になることであり、付き合いも友人も少ない「ただのジジー」になることであるという「危機感」を感じていた。
だから、わざわざデータで済むイラストを印刷して新聞社に持っていくなんて事までして、アナログでの東京での時間を楽しんで過ごしていた。
ともかく理由はなんでもつけて、週1回以上は東京に出かけていた(1時間もかかんないのでね)...ただそんな強引なやり方にも限界が来て、全ての仕事相手が「原稿入稿はデジタル入稿のみ」となり、出かける理由がなくなった。

それでも、「行きつけ」の店がある限り、「飲み相手」が居る限り、用もないのに週に一回以上俺は東京に出かけて酒を飲み続けた。
ところが、時が経つにつれ...「行きつけの店」が閉店したり、知り合いの飲み屋の親父が亡くなったり、引退したり...そして、色々な出版社や新聞社にいた昔からの「飲み相手」が定年となって会社を去って行った。
行き慣れた仕事先のビルはあるのに、そこに居るのは知らない社員ばかりになって行くのだ。
やがて、ずっと続いて居る仕事の担当編集者に「親父と同じ歳です」なんて言われるようになり、引き継ぎの若手には「うちのおじいさんと同じ歳です」なんて言われるようになって...

それに、うちの奥さんの病気やコロナ騒ぎが重なって、「東京に行かない」が「東京に行けない」状態となり...気がついたら1年以上電車で東京に行くことがなくなっていた。
(その間に世田谷に住む義母の病気や葬式があったが、いずれも首都高経由の車でのお出かけだった。)

「もう、これで一生東京に出ることは無いのかなあ」...なんて事さえ真実味を帯びてきた昨日、30歳ごろからの付き合いであるT氏からの「酒飲み」の誘い...「仕事で名古屋から上京してきたので、久しぶりに一杯如何?」という話。
もう俺の行きつけの店は残っていないので、歴史の古い神谷バーで。
神谷バーは、やっぱりコロナ騒ぎの影響で席全てがプラスチックでセパレートされていて、以前の大きな空間のざわめきも大らかさも無く...
知り合いの店員はもうとっくにいなくなり、よく見かけた「粋なハット」のシニアの方々も一人も見かけない...静かな寂しい古い食堂になっていた。

しかし、本当に久しぶりの飲み仲間...懐かしい三十代から四十代の昔話に話が弾み、「またの一杯」を約束して宴は終わる。
こんな、昔を知り昔を語る飲み相手も少なくなった。


浅草は、家まで1時間は絶対にかからない距離だけど...なんだか「異国」の匂いを感じてしまって、埼玉県に入るとホッとする自分が居るのには...笑った。