ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

写真整理をしていると...

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ゴルフに行く訳にもいかず、飲みに行くのもまだ早い...都内に出かけても行きつけの店はもう全部無いし、飲み仲間も死んじまったり故郷に帰ったり行方不明になったりで、誘う相手もいやしない。
まあ、今はうちの奥さんに病気を持ち込まないために、人混みに行くのは絶対に避けているからいいんだけれど。

な時に、奥さんに「昔の写真で整理してないのが沢山あるわよ」と言われて始めた写真整理。

長女・次女が生まれた頃は、確かによく写真を撮っていた。
一部はアルバムに収めてあったが、調べてみると整理していなかった写真が大量に出て来た。
こう言うものは仕事や散歩の合間にするものだから、懐かしい写真にはつい時間を忘れて見入ってしまう。

例えばこの写真は、長女が生まれるので大急ぎで免許を取り、初めて買った車が写っている...その最初の車は、鈴木ジムニー4WD(360cc・2サイクルエンジン・3人乗り・バンタイプ)で、近所のレンゲ畑に行って撮ったもの。
もし車を持つなら4駆に乗りたいと思っていたので、あちこち探してやっと見つけたかなり中古のジムニーは、非力でスピードが70kmしか出ず、悪天候ですぐにエンストする車だった。
幼い子供を乗せるので幌ではなくバンタイプにしたのだが、700kg近いボディを360cc2サイクル2気筒28馬力のエンジンで走らせるには、あまりにも非力だった。
平らな道路でやっと60km、ベタ踏みで70kmしか出ないエンジンでは高速を走ることは出来ず、どこに行くのも下道を地道に走って行った。
(それでも、冬の日本海を見に甲州街道をトボトボと吹雪の中越えて行ったり、木曽路や日光・軽井沢と走りまくれたのは...若かったおかげか?)
...赤城山に登った時には、白煙を吹いて喘ぎながら登るジムニーをマウンテンバイクの一団が軽く抜いて行ったっけ...

雨の中エンストする事の多かったジムニーはよくJAFのお世話になり、その修理しているのを後ろから見ていてやり方を覚え、機械音痴の俺でもほとんどのトラブルは自分で治せるようになったっけ。

そんなジムニーは、次女ができた時に買い替えた。
何しろジムニーは3人乗りだから、家族4人になるならもう家族全員が乗れないし。

ジムニーに乗って都内を走り回っていた時に、いつも俺と奥さんが「あれがいいなあ」と言っていた車がトヨタランドクルーザーのBJ40系。
いわばそれが「憧れの車」だった。
しかし、この時代には「工事車両の4駆に普通の人が乗る」ということを考える変人は本当に少なくて、ジムニーの次にやっと買った中古の黄色いBJ44に乗っていると、どこに行っても変人扱いされた。
(ゴルフ場でも、工事車両としか見られなくて酷い扱いを受けることが多かった。)
その代わり、同じような趣味の「4駆乗り」同士の仲間意識は強く、道路ですれ違うとニコニコ顔で挨拶するのが当たり前だった(ジープ、ランクル、サファリ、それにジムニーも仲間に入れてくれていた)。
その後乗用車感覚で軟弱者に人気になる三菱パジェロはまだ発売されていなくて、発売されていた4駆はどれも「堅牢さ優先」「踏破性能優先」で、運転者や乗っている人たちに「我慢」を強いる暴れ馬ばかりだった。

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このランドクルーザーBJ44(6人乗り)は、ショートタイプのBJ42(4人乗り)より車内スペースが広く、購入後すぐに都内のキャンピングカー製作所にお願いして、4人座りの簡易折り畳み長椅子をベッドにもなるウレタン製の大きな折り畳み椅子に改造してもらった。
写真のカーテンのついている部分が全面ベッドになり、なんとか親子4人が寝られる平らなスペースになる。
この頃はまだ「キャンピングカー」を買うなんて事は考えてなかったのに、今のキャンパーと同じ使い方をしていたというのが自分でも面白いと思う。

今見ても、俺はこのBJ44のクラシックなスタイルが好きだ。
この車は、日常生活で使うにはあまりにもハードで様々な欠点の多い車だったけど、現代の平均的な車と同じレベルの装備であったなら...俺は死ぬまでこういう車に乗り続けたいと、ずっと思っている。

 


話し出すと長い「車語り」...写真整理の徒然に、また続きを書くかも。