ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

おみくじ考

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初詣は、二日にこの辺では一番大きな神社に行った。
久しぶりの屋台の灯りと、B級グルメの色々なデンプンを焼く匂いで満ちた参道は、懐かしく賑やかなものだった。
(ただ、またしてものコロナ感染の爆発で、今年も「祭りの賑わい」はお休みになるんだろうな。)


...家族で行く「初詣」の最終目標は、去年の感謝と今年の願いを神様に聞いてもらう事。
そして、そのクライマックスが「おみくじ」。
もちろん皆良い運勢を引き当てて、今年の行く末に明るい希望を持ちたいと願っている訳なんだけど...

おみくじに出てくる「運勢」って、「現在の状態を表している」って知ってた?
「大吉」が出たら、それは今が大吉って状態とのこと。
だから、意外と「大吉」の運勢の内容は「戒め」に近い言葉が並ぶ。
「調子に乗るな」とか「油断大敵」とか。

意外と「末吉」とか「小吉」なんて運勢の方が、「やればできる」とか「耐えれば希望が」とか、人をやる気にさせる言葉が並ぶ。

問題は「凶」や「大凶」だ。
書いてあることは酷い状態の人生そのもの。
「願い事」は叶わないし、「待ち人」は来ないし、「勝負事は負ける」し、「失せ物は出ない」し、「病」は重くなるし、「恋愛」はもっての外(笑)だし、「旅行」は出るなだし、「商売」は損する、てな具合だ。

こんな運勢が正月早々出るなんて「縁起でもない」から、人はおみくじで良い運勢を望む。
神社も商売だから、参拝客に嫌な思いをさせたくないと「凶」を入れない神社も多いと聞く。
まあ、普通に考えて全体の中では「凶」や「大凶」の数はごく少ないものだろう。
何年か前に、俺はその「凶」を、神社を変えて3回続けて引いた事がある。
まず最初が、奥さんの実家そばの「東伏見稲荷神社」で...「凶」。
ここは関東地方の稲荷神社の総本山で、格も高い大きな神社...結構ショックだった。
じゃあ、と小さな近所の神社で験直し、と地元の神社で引き直したら...なんと、またしても「凶」!
(この神社で「凶」なんて聞いたことないんだけど。)

「ええい!」と気を取り直して、仕事で東京に出た帰り道に、浅草浅草寺でもう一回おみくじの引き直し。
と...出たのは「大凶」!
まあ、浅草寺は「凶」が多いって聞いてはいたけど、俺は3回連続凶で、最後に「とどめの大凶」かよ。
「どうするよ〜...」って声が出て、本気で「俺、今年死ぬかも」なんて思ったりして。
ふと周りを見渡すと、おみくじを引いている3〜5人のグループでは、必ず一人か二人へなへなと崩れ落ちる奴がいたり、悲鳴をあげる奴がいる(笑)。
浅草寺の「凶」の割合は3割以上との事で、3人以上のグループでは大体一人は「凶」になるらしい。
そのおみくじ引く場所の横に、何やら多数のおみくじの結んであるハンガーのようなものがある。
その説明書きに「凶が出た方はこれに結んで帰ると、お寺が厄を払ってくれる」みたいなことが書いてあった。
そうか! 「凶」や「大凶」の運勢は、ここに結んで置いて行けば寺や神社が厄払いしてくれるんだ!

そして、気を取り直して、あと2回おみくじを引いた(笑)。
もう1回目はものすごく微妙な「吉」(内容が守りの後ろ向き)。
3回目で、希望が持てる「中吉」(内容が能動的)を引いて、他のおみくじはそこに結んで帰った...そして、今の俺がいる。

以来、ウチでは気に入らないおみくじは、神社のおみくじを結ぶ場所に結んで、神社にお返しする。
自分が「これがいい!」というおみくじが引けたら、それを今年のテーマとして持って帰り、一年それを心がけて生きる。

...おみくじってのをよく読んでみると、元気が出る凶もあれば、すっかり気が抜けてしまう変な大吉もある。
おみくじで気に入らないものが出たら、それが吉だろうと凶だろうと、さっさと枝なり棒なりに縛って捨てて、新たな気持ちで引き直すのがいいと思う。
日本の普通の神様は、そんなことに目くじら立てるような偏狭な心は持っていないはずだから。


今年もそんな訳で、各人1〜3回おみくじを引いて初詣を終えた。
考えてみると、これは自然な形の「神との契約」なのかもしれないなあ。
1回たった百円の。