ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

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掘っくり返し屋のノート㉗『戦前国内で発行されたゴルフ雑誌』

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先に西村コレクションについての書き物で戦前の国内資料が沢山あった事に筆者がショックを受けたことに触れたが、戦前国内でどの様なゴルフ雑誌が出ていたかを紹介と共にちょっと記してみたい。

・『The Bunker』 
根岸の日本レースクラブGA会員チャールズ・ソーンが刊行した日本で最初のゴルフ雑誌。1915年12月創刊。
色付きの厚紙の表紙で 基本のクラブニュースのほか、神戸GCのH.E・ドーントの寄稿、東京GCの名アマチュア川崎肇や高木兼二へのインタビューや、東京GCのレポート、関西のニュース、レッスン書の掲載、日本アマチュアの戦評を載せるなどしていたが、ネタ切れで1916年11月に第12号を出したところで廃刊。
現存している物はJGAゴルフミュージアムに所蔵されている西村コレクションだけであろうか(名アマチュア川崎肇も全号を持っていたが、東京大空襲乃至山の手空襲でその他のゴルフコレクションとともに消失)。他に根岸競馬場跡にある『馬の博物館』に所蔵されているか否か。


・『阪神ゴルフ』
神戸の伊藤長蔵がゴルファーの社交クラブ、阪神ゴルファーズ倶楽部に集まる友人たちの声を聴き発行した日本人による最初のゴルフ雑誌1922年4月創刊。
 編集発行人の名義がプロの福井覚次郎(覚治)になっているのは伊藤が当時破産して準禁治産者になっていたことが影響しているという。
タブロイド紙型で、国内や外地の倶楽部ニュースや海外の動静を報じ、レッスン記事や福井の回想を連載するなど総合的な内容であったが、同年9月に第4号を出したところで運営方針を変え『Golf Dom』へ移行廃刊、形状と発行数からJGAゴルフミュージアムの西村コレクション以外に現存しているか不明


・『Golf Dom』(『Nippon Golf Dom』『日本ゴルフドム』『日本打球』)
1922年11月号~1944年2月号(途中休刊や二ヶ月、三か月分合併号あり)
阪神ゴルフから移行した雑誌でゴルフ界の様々な話題が記されている総合雑誌。発行人の伊藤長蔵と協賛者による同人誌的側面が強かったため、伊藤の事業の浮沈の影響を大きく受けてしまった面がある。

書籍マニアであった伊藤の方針か基本上質な紙が使われているが、1930年頃の伊藤の資産払底による運営状況悪化で1931年時は大阪朝日新聞社で刷ってもらっており、紙質が悪化している。
その後状況打破のため伊藤が在所の神戸を離れ、東京で事業を行うため会社を移転した際は一時東西両ゴルファーからそっぽを向かれる苦境に陥った。(当時編集記者をしていた鎌倉市図書館長の沢寿郎によると、前者は『Golf(目黒書店)』があったため新参扱い、後者は『挨拶もなしに移転して。』ということだったらしい)

数年間苦境にあったが1938年の初夏からグラビア版に改定して『Golf』が取り上げないような話題や海外ニュースなどを多く取り入れて盛り返していった。
戦時中の出版統制で他のゴルフ誌が廃刊になる中JGAの援助等で唯一のゴルフ雑誌として残っていたが、1944年2月号を最後についに廃刊。
ベースボールマガジン創業者池田恒雄によると自身が編集長をしていた『野球界(当時は相撲界)』がスポーツ総合雑誌になる際に『Golf Dom』編入案が出て、海軍は認可したものの陸軍の横槍でそれも潰えてしまったという。(『ゴルフマガジン』200号記念座談会より)

現存する物としてはJGA本部資料室や個人のコレクター達が持っている他、国会図書館に付録品の全国ゴルフ場案内が蔵。また神戸時代からゴルフ書籍を多数発行しており、『ゴルフ叢書』シリーズがつとに有名で、こちらは所蔵のコレクターも多いだろう。
市場では1938年のグラビア版以降のものは時々古書の市場に出てくるが、基本的に残存数は少なく高額で取引されている。
(2020年に関西のコレクターさんとお話した際に、『昔は一冊150円位で古書店に転がっていたよ』と云われていたが、現在の市場価格を見て歯噛みしている身としては信じがたい‼)


・「ごるふ」
雲仙GLで活動をしていた長崎GC(のちに諫早にコースを持つ)が1924年3月から発行した雑誌。
西村貫一によるとゴルフに対する真面目な取り組みで一貫しており、廃刊(1926年11月、計11号※)が残念。と著書『日本のゴルフ史』で記している。
JGAミュージアムの西村コレクションと長崎県歴史文化博物館に全号が所蔵されているが(後者は2016年に雲仙GL関連史料について長崎県立長崎図書館に問い合わせた際にご教示頂いた。)、前者は仕舞われている箇所が判らず確認できず、後者はホームページの資料検索で確認すると『ゴルフ』表記かつ出版年が1926年、そして第12号まで所蔵されており、西村の云う書籍情報と微妙に違っている。


・『ゴルファー』
当時日本領であった朝鮮の京城(ソウル)で京城GC会員高畠種夫によって1928年9月に刊行された雑誌。
廃刊時期は不明だが(恐らく出版統制の頃だろう)1938年の朝鮮ゴルフ連盟の機関紙『クラブライフ』の登場の頃も発行されていた模様。JGAミュージアムの西村コレクションに所蔵されている以外はまず見かけないであろう。
このほか国会図書館に同誌が発行した1931年当時の朝鮮の各倶楽部のメンバーリストとルールブックが蔵。
韓国・朝鮮のゴルフ史研究上非常に貴重な史料であるので、早急にデジタル化されるべきだと筆者は考える。


・『Golf(目黒書店)』
1931年11月号~1940年11月号(12月号も発行?)
スポーツ刊行物を多く出していた目黒書店による雑誌、準JGA機関誌ともいえるもので、赤星四郎・六郎兄弟を顧問にし、執筆者も当時のゴルフ界の有識者達が参加しており、『Golf Dom』が形式を刷新するまでは当時のゴルフ雑誌の中で一番内容が充実し1931~40年間のゴルフ資料としては一級品である。ただ関西の事についてはおざなりの感がある。
戦後ベースボールマガジン社の『Golf Monthly(後ゴルフマガジン)』が創刊の際、『Golf』編集担当の小笠原勇八を編集長に採用したことから同誌の後継雑誌と目されたことがある。

この雑誌は大手出版社が出していたので、現存数が他の雑誌の中で一番多いらしく、それなりの値段だが古書市場に纏めたものや、リアルタイムで販売された合本が年度ごとに揃って出てくることがママある。
(筆者の体験としては、某有名古書店で数冊まとめて5000円で放られてたのを当時お金が無く見送り、用意した際には売れてしまった出来事の傷がいまだ心に残っている)

※(目黒書店)と入れているのは、戦後報知新聞社が同名の雑誌(後『報知ゴルフ』)を出しており、また1890年代の英国の週刊誌(後『Golf Illustrated』)や1900年代にUSGAが同名の月刊誌を刊行しているための区別である。


・『The Golf in Manchuria』

大連の満州ゴルフ雑誌社から刊行された邦語のゴルフ雑誌、1932〜33年間に3号ほど出ているがそれで廃刊か?

内容としてはゴルフの基礎的な話題を載せている雑誌、満州プロのパイオニア前田建
造(福井覚治門下)によるゴルフクラブの選び方やお手入れ方法の連載あり。

先ず出てこない雑誌で、JGAミュージアムの西村コレクションで確認。


・『Nippon Golfer』(『日本ゴルファー』)
『Golf Dom』が運営問題で関西から東京に移転してしまったため、関西のゴルフ雑誌を創ろう。という機運で神戸で創刊された雑誌、1935年~1936年間に発行
福井覚治七回忌による追悼特集号や、『Golf Dom』の移転や『Golf(目黒書店)』のおざなりな扱いによる関西ゴルフ界取材の空白を埋める貴重な記述が多い。後述の『Golfing』の登場により吸収廃刊になった模様。
それなりの数は発行されている様でポツポツ古書店や市場に出ていることから揃えて所蔵しているコレクターさんは少なからず居るはずだが、所在の判明している団体所蔵の纏まった物はJGAミュージアムの西村コレクション位だ。


・『Golfing』(『ゴルフィング』)
関西ゴルフ連盟(KGU)機関誌として1936年10月創刊、出版統制により1940年9月に廃刊。
KGU機関誌だけあって関西ゴルフ界の情報や各倶楽部メンバーの消息がメインだが、全国的な話題や、ここにしかない貴重なインタビュー記事や座談会、レポートが各種あるので史料としても一級品である。
纏まったものではJGAミュージアムに西村コレクションと別途に纏めた合本が在るのを確認したが、KGUの刊行物の為結構な数が発行されていたようで、これも『Golf』に次いで古書市場に出てくることが間々あり(筆者は先の某古書店で27~28冊纏めて+ダブり数冊が入荷した場面に出くわした事があり、また古書即売会で1940年の物を4冊入手した経験がある)、一定数を所蔵している方達がいるのは確実だ。
同誌は現在の国内ゴルフ史研究において、掲載内容が注目に値しながらも最も軽視されている史料だと筆者は考えている。

・『クラブライフ』
朝鮮ゴルフ連盟が1938年から発行した機関紙。1940年の出版統制か42年の同協会解散まで発行されていたと推察する。
西村コレクションにあり(JGAミュージアムではどの棚に在るか確認できず)、「Golf目黒書店)」編集者であった小笠原勇八も連盟から送ってもらっていた話を晩年雑誌に書いているので、保管していれば彼の蔵書が寄贈された東京GC資料室にも所蔵されているだろうか。
『ゴルファー』同様まず出てこない史料と観るべきであり、貴重である。


以上が筆者の確認できた戦前期の国内ゴルフ雑誌であり、あとはレファレンス資料として、大阪朝日新聞が出していた隔週刊の総合スポーツ雑誌『アサヒスポーツ』の1923~40年の物に、貴重なゴルフ記事や写真が相当な頻度で出てくるほか、大正末から昭和初頭の『サンデー毎日』にもゴルフ記事が度々掲載されている(どちらもゴルファーの写真やイラストが表紙を飾ったことがある)。もし見かける事があり手に届く値段ならば購入されてほしい。

と、記述者として書いてはいるが、これら戦前のゴルフ雑誌について、収集者の面から鑑みた場合、こういった事柄は物の価値に絡めて書くと、取り扱う古書業者さん達が『買ってくれる人がいるならば』と値段を高騰させてしまう恐れがあるので、余り大声で言いたくないのも正直な気持ちだ。

業者さん達は本当に需要に目敏く、筆者はその例として明治期の落語の速記本がたった三人の熱心な収集家が居る事によって、値段が異常なまでに暴騰してしまった話を当事者の一人から伺っている。その方曰く、『求める人が2人いれば値段はあっという間に高騰するよ』との事。
雑誌のような紙モノというのは書籍類に比べて消失しやすいので値段が高くなってしまうのは致し方ないことでは在るが、上記の雑誌たち(主に数の多い『Golf(目黒書店)』や『Golfing』)はプロ達の集まる古書の競り場でも現在それなりの値段が付いている事を知己の業者さんや古物商鑑札を持たれている方から伺っているので、現在より競りの値段が上がれば店頭価格もそれに比例し、資本のある人以外は死屍累々の状況になるのは間違いないだろう。
確実な入手の仕方はコレクターの身辺整理品や遺品が市場やオークションに出て来た際を見計らう事だが、これは一般の人たちには難しく、収集家向きの手法だ。
となると、『其処までお金と苦労を掛けられないが読んでみたい』という方たちは所蔵している団体に閲覧許可を求め出向く事になるが、そのやり取りや史料の取り扱いを考えると、諸事がスムーズにいく史料のデジタル化が今後の課題になってくるだろう(しかしこれは大きな所でなければ中々難しい事でもある)。

また、お金を掛けずにゴルフ書籍共々探してみたいという方に筆者が申し上げられるのは、お世話になっているレコード収集家の言葉だが『空振り百回は当たり前だよ』である。
筆者も、お金が無くても・幾つもの外れやシケに出くわしても、(自宅を出て一時間後には神保町をウロつけるという恵まれた環境が在るとしても)やってさえいれば、十数年の間に世界的な希少書籍をタダみたいな値で発見入手出来たのを始め、史料がそれなりに集まって呉れているので、この言葉は事実である。と述べる所でこの項の〆としたい

                             -了-
                 2021年9月4日~12月15日筆 12月30日改定


主な参考資料
・『A Bibliography of Golf based on the compiler’s private collection of Golf-Literaturre Supplement by Kwan-yichi Nishimura』 西村貫一著 西村雅司編 1974
・『The Bunker』合本
・『阪神ゴルフ』合本
・『Golf Dom』1922~1943年分
・『ゴルファー』1928年分合本
・『Golf(目黒書店)』1931~40年分
・『Nippon Golfer』1935~36年合本
・『Golfing』1936~39年分及び1940年1,4~6月号
・『Golf in Manchuria』合本
・日本のゴルフ史   西村貫一 雄松堂 1995復刻第二版
・新編日本ゴルフ六十年史 摂津茂和 1979 ベースボールマガジン社
昭和12年版・昭和13年版全国ゴルフ場案内 ゴルフドム社 1937,1938
・2016年6月10日付長崎県立長崎図書館からの書簡
参考サイト
長崎県歴史文化博物館
史料はJGAミュージアム及び本部資料室、国立国会図書館にて閲覧他、筆者蔵書より

 

 

 

 

 

(この記事の文責並びに著作権は、松村信吾氏に所属します。)