ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

腰の痛みの治りが遅い...

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痛めてからずっと湿布を貼り続けている。
ストレッチをしたり歩いたり...しかし、治らない。
痛みの程度は、自分的に「激痛」から「クソッ! 痛え!」くらいにはなったけど、十分注意して動かないとまたひどい激痛発作が出るような気がして、満足な状態には程遠い。

そして最近、毎日の朝起き上がって立ち上がり着替え終わるまでが、結構ハードな運動であるということを実感している。
服を着て立ち上がるまでに、日によって足や太ももが攣ったり、腰を痛めたり、首や肩・脇腹を痛めたり、動きのあちこちを慎重にしないとやばい事になるのだ...歳をとるとベッドの方がいいという理由がよくわかる。


そんな状態の日々を過ごしていると、俺の最後のラウンドは意外に近いのではないか、と...ちょっとした焦りがある。
集めなおして、今現在21ダースある糸巻きボールを使い切れないうちに、俺のゴルフ人生が終わってしまうんじゃないか、と。
俺のヒッコリーゴルフ史も、考えてみるともう始めて10年くらいになる。
本格的にクラブを揃えてボールを集め、現代クラブを封印してからも5年くらい...それなのに、その間全く成長していない自分のヒッコリーゴルフにもちょっと焦りがあるし、体が動くうちにもっと数多くプレーをして楽しまないと勿体無い、との思いも強くなる。
幾つで回ろうと、どのくらい上手くなろうと他人に公開したり自慢したりするような方向のゴルフ趣味ではないのだが、自分が全然上達しないのにはすごく腹が立っている。
上達出来ない理由の一つに、100年もののクラブの「破損」を恐れて、強引なゴルフが出来ない事がある...イメージに近い良いショットのためにはある程度は強く打ち込む事も必要なのは分かっているんだが。
(それでクラブが壊れた場合に、罪の意識を感じる事が無ければもう少しまともなスコアにはなる。)

だんだん増えつつある体のあちこちの故障を考えると、俺のゴルフ人生の残りは考えているより短い可能性が高い。
ならば「体の動くうちに」「費用を払えるうちに」「道具が使えるうちに」なるべく沢山のラウンドをしておきたい。
幸い、一人でも二人でも結構安くゴルフを遊べる環境はある。
今は、団塊世代のための、バブル崩壊の結果の、日本のゴルフ環境の過渡期の一瞬の「貧乏人のゴルフパラダイス」、だろうと思っている。
「遊びをせんとや生まれけむ」「ゴルフをせんとや生まれけむ」なんて、貧乏人が謳歌できる史上稀な時代だって訳だ。

さてそんな気持ちになったら、痛む腰を抱えて、今週は一人で「賞品はステーキ」のオープンコンペに出かけるつもり...実は、ここ最近のオープンコンペは9連敗くらいしているから、そろそろゴルフの女神が振り向いてくれるような...気がしている。

 

ラームが3日目まで独走トップだったのに、コロナ感染で棄権。
全米女子オープンで笹生が優勝。
ツアーのニュースは聞こえているけど、全ては自分の楽しみゴルフとは関係無い遠い遠いお祭りの話。

今は全く仕事をやっていないが、今月で週刊パーゴルフが休刊というニュースも。
かってはゴルフダイジェスト、パーゴルフ、アサヒゴルフとあったゴルフ週刊誌も残るのはゴルフダイジェストだけになってしまった。
...紙媒体の文化の衰退、ゴルフ文化の衰退がこんなに早くやってくるとはね。