ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

「風雲急を告げる」状態なのかしらん...

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検査数自体が増えているんだから当然陽性者数も増えるとは思っていたんだけど、急激な感染者増加にマスコミの煽りも加わって再度の非常事態宣言となった。(と言っても、諸外国の非常事態宣言よりはずっと緩やかなもの)。

あとは、感染源の無自覚無症状感染者の行動制限とワクチンの早期接種が出来るかどうかが結果を分けるんだろうけど...

今更ながらこの「流行り病」の一番怖い所は、人の生き方をぶち壊してしまう事なんだと思う。
もちろん「感染して症状が悪化し、やがて死に至る」ということが最悪の結果であることは承知の上で、この病気の最も恐ろしいのは感染していない全ての人の「今まで生きて来た生き方を続けさせない事」だと偏屈ジジーの俺は思うのだ。
命は大事だけれど、生きて行く一人一人の「人生の時を過ごすスタイル」だって同じくらい大事なんだ、と。

この「自粛」という時間...人は一日一日を「なるべく外出をせず」「人となるべく会わず」を基本として生活することを強制される。
それは、「見知らぬ土地への旅」や、「懐かしい人との歓談」や、「親しい仲間との宴」や「気分転換の友とのカラオケ」や、「楽しみの買い物」や、その他無数の「刺激的な出会い」の全てが否定され悪とされる生活なのだ。
人は、他の人との接触を避けて「今日も無事だった」だけを考えて時間をやり過ごさなくちゃならない。
気がついたら一週間が過ぎて、気がついたら一ヶ月が過ぎた、ああ、もう一年が過ぎた...なんて事が一番大事なのだ。

...しかし、武漢肺炎で死ぬことと、ただ寿命が来るまでじっと何もしないで誰とも会わずに閉じこもっている事と...どっちが酷い事なのか?

マスクは、以前から花粉症だったので春先の数ヶ月し続けるのは慣れている。
学生時代から一人が普通だったので、別に友人や仲間といつも一緒に居たり、連れ立って遊ぶなんてのは多くなかったから、集まって誰かと騒がない事というのも別に平気。
だけど、たまには旨い酒とツマミのある居酒屋には行きたいし、下手くそなカラオケだってやりたいし、何より一週間に一度は車でちょっと遠くに旅に行きたい。
それらは、俺にとっては小さな事だけど「生きる」ために必要で大事なイベントなのだ。

それらを全て無しにして、ただただカレンダーのページを毎日破くことだけでは「生きている」なんて、とても言えない。

このどん詰まりの状況を変えられるのは多分ワクチンしかないんだろうけど、その接種状況の進展は遅い。
病み上がりのうちの奥さんのためにも、もちろん当座は真面目に自粛に取り組んで、ひたすら肺炎の収まるのを待つつもりだけれど...ただただ「何もしない日」を積み重ねるだけのこんな時間は、なるべく短くしたいもの。

多分その辺にもう普通に飛んでいるはずの「武漢肺炎ウィルス」に運悪く遭遇しないように、ただ出会わない運を信じて「ワクチン接種」のその日まで、我慢我慢の日は続く...んだろうなぁ。

これを読んでくれている皆さんにも、どうかウィルスに出会わない「幸運」を。