ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

8月1日 2021年の夏

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今日から8月。
夏の真っ盛りとも、もう夏の終わりとも感じる暑い日々。
...8月の「夏」のイメージは、学生時代の「夏休み」と重なる。

小学校の頃は、夏休みは永遠に続くような長い「学校の休みの日」というだけだった。
中学校の頃は、バレーボール部の練習と、片思いの少女の暑中見舞いのハガキの返事に書いてあった、「白樺湖の畔から」なんて言葉が夏の避暑地のイメージと重なって、「夏」はほの甘い記憶となった。
高校の頃は、バドミントン部の練習と、同じ体育館で練習する一つ年上の女子バスケ部の主将のキリッとした美少女への憧れが、夏のイメージに重なった。
それで何にも起きはしなかったけど。

絵を描き始めてからは、「何か起きそうなことを期待する」イメージが常にありながら結局なんにもない「夏」にすっかり失望して、拓郎の「夏休み」なんて歌をやけっぱちで歌っていた。

そして、夏には何にも起こらないまま、24歳の秋に思いもよらず早く結婚することになって...それから貧乏暮らしで奥さんに苦労をかけて...
でも、30前に娘が二人出来た時に、その「娘たちの夏休み」を俺は考えた。
俺が子供の頃は池袋に住んでいて...毎年8月に1日だけ江ノ島に海水浴に行っていた。
その1年にたった1日の海水浴で見た、江ノ島の海の「青い空と青い海、白い入道雲と波の音」が、それ以降の俺の人生に消えることの無い「夏のイメージ」を残していた。

それが理由で、娘たちにも「もっと綺麗で素晴らしい夏の思い出を作ってやりたい」とずっと思っていた。
そして、下の娘が2歳になる頃から、毎年7月末から8月頭の1週間から10日間を、千葉は根本のキャンプ場で過ごすことを始めた。
これはそれから20年以上、毎年の夏の定例行事となった。
娘たちもこの「何にもしないで海のそばにずっといる」キャンプが気に入ったらしく、夏が近づくとこのキャンプを全てのスケジュールの最優先事項にしていた。(中学生になっても高校生になっても、果ては大学生になっても、この二人の娘は夏の予定の最優先事項としてこのキャンプの予定を入れていた...俺の知り合いはみんな「そんな歳の娘がなんで親とのキャンプなんか一緒にやりたがるの?」って驚いていたっけ。)

この行事が、娘たちが就職してそれぞれ長い夏休みを取る事が出来なくなって消滅した時、うちの家族の一つの歴史が終わった。
多分それが原因で、毎年8月1日になった時には一瞬心に動くものがあるんだけれど...すぐに、もうそれは終わったことで、あんな夏休みはもう二度と来ないことを思い知る。

俺の「夏休み」はもう記憶の中にしか無い。
今は、夏という季節は酷暑に耐え、太陽光線から逃げまくって、ただひたすらに「涼しくなるのを待つ」期間となった。


それでも一度や二度は青い海と青い空に白い入道雲の風景を見たいものだけど、去年も今年もうちの奥さんの病気や武漢肺炎や、おまけにオリンピックまであって、海までは遥かに遠い。

だから、また今年も現実にはありもしなかった拓郎の「夏休み」を、調子っぱずれの鼻歌で歌うだけで夏休みの終わりを待つんだろう。