ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

ランクルBJ44で一番苦労した事

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360ccのジムニーに比べれば、力はあるしスピードも出るしで「流れ」に乗ることが普通にできるようになったランクルBJ44。
室内もやはりジムニーに比べれば圧倒的に広く、その四角四面のクラシックなスタイルのために運転席周りは2倍に広くなったように感じていた。
当時181・5センチ、75キロくらいの俺でも頭回りには十分に余裕があり、「運転姿勢」は楽だった。

騒音やパワーアシスト無しの事は後で書くとして、ランクルライフで一番苦労したのが「夏の暑さ」だった。
この車には当たり前に「クーラー」やエアコンなどといったものは用意されていなかった(ヒーターはあるので冬は問題無し)。
後付けでクーラーを取り付けることは出来たけど、その値段はとんでもなく高価だった。
「クーラーを取り付けると、うちの一家は飢え死にする」...くらいに。

 

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の車で暑い夏を動くには、まず運転席両側の窓を手動でハンドルをグリグリ回して開ける。
後部の引き窓を両側から開けておく(片側に全開すると、子供が落ちる危険性を感じていた)。
そして今じゃあどんな車にもついていない「蹴飛ばし」と呼ばれた足元の三角窓...ばね仕掛けで、足先で蹴飛ばすと開いて、走行すると風が入ってくる...閉じるときにはつま先で引っ掛けて閉める。
これは普通に暑い時には結構効き目があって涼しかったが、真夏の炎暑の中では風そのものが熱風になって厳しいものだった。

そんな中で、うちの奥さんには可愛い二匹の娘が纏わり付いていて、その体温が加わった暑さには流石に我慢出来ずに「暑いよ〜〜〜!」と悲鳴を上げていた。
特に下の娘は甘ったれで、いつも母親の体にくっついていなければ安心しないので、二人のくっついている部分には滴る汗が流れていた。

俺一人でも、ゴルフに仕事に真夏もずっとこの車で動き回っていたけど、出かける前に必ず着替えのTシャツを3〜4枚と、汗を拭くタオルを数枚用意して行った。
また、座席は合成のシートだったので、いつも汗でビショビショに濡れてしまい、運転した後で濡れたタオルで綺麗に拭きとらなければならなかった。

なんどもなんども中古のクーラー(4x4マガジンにランクルの中古クーラーの広告が出ていた)でも取り付けようかと考えたが、そんな中古品でもやっぱり当時のクーラーは高くて手が出なかった。
そしてランクルを手放すまでの暑さ対策は、団扇や冷たい飲み物、クーラーバッグに氷や冷たいものを満載して、濡れタオルを氷で冷やしてそれで頭や体を拭いたり...なんて事で、なんとか耐え続けた。


このランクルでは手放すまでの10年の間、夏の季節にキャンプやら、海や高原などによく出かけたが...今考えるとよく子供達が熱中症にならなくて済んだもんだ...

思い返してみると、当時の「暑い夏」はそれでも最高気温は何日か33〜4度になるくらいで、最近の夏のように最高気温「36〜40度以上の体温越え」が何日も続く、なんてことは無かったような気がする。 

 

あのランクルで「クーラー無しで夏を乗り切る」なんて、今じゃ絶対に無理...と言う、もう40年くらい前のお話だ。