ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

どーでもいい話

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「そろそろ、捨てるべきものを捨てなきゃなあ...」
なんて、コロナ騒ぎの真ん中で動き出した。
「人生なんていつ終わるかわからないんだから、その準備くらいはしなくては」とは大分前から思っていたものの、日々の流れにずっと流され続けてここまで来てしまった。

とりあえず、俺の仕事部屋に溢れ返った「アナログ時代の資料写真・資料本」の数々を処分することから始めることにした。
イラストをデジタルで描くようになってもう10年以上...仕事の内容も範囲が決まって来て、今後二度と使わないだろう資料が山ほどあるのだ。
それを処分するためにまとめていると、ひょっこり顔を出したのが挿絵用にまとめていた女性の顔の資料ノート。
イメージを作るために、好きな顔や描きたい顔の女性や、個性的な顔の女性、好みの顔などを集めたっけ。

それぞれに思い入れがあるが、ジョアンナ・シムカスアラン・ドロンとリノ・バンチュラと共演した映画「冒険者たち」でファンになった女優。
飄々と風のように生きる現代娘役は、俺には「娘が生まれたら、こんな風に生きてほしいなあ」なんて思わせた魅力的な女性だった。
特に美人というのでは無いが、その生き方の「明るさ」「軽さ」「切なさ」が顔に出ている独特な雰囲気を好きになった。
...長女の名前はこのイメージからつけた。

もう一人はクリスチーネカウフマン...ドイツのこの女優は、その十代の時のブロマイドの可愛さったら無かった(自分の好みって事)。
ただその美しさの輝きは、絶頂期の18歳でのアメリカ俳優のトニー・カーチスとの結婚であっという間に消えてしまった。
俺はグラビアでの彼女のファンだったが、映画は一本も見ていない。

 

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続いて出て来たのは、フランソワーズ・アルヌールとナタリー・ウッド
ナタリー・ウッドは映画「草原の輝き」で気に入り、フランソワーズ・アルヌールは名画座ジャン・ギャバンとの「ヘッドライト」で気に入った。

ナタリー・ウッドはグラビアではそれほど良いとは思わなかったが、映画で動きが入ると俄然魅力的な女性に見えて驚いた。
フランソワーズ・アルヌールは、なんだか親近感を感じさせる東洋的な雰囲気が魅力的だった。
改めて「フランス女性はアメリカ女性と違うんだ」なんて事を、ウブな俺に教えてくれたっけ。

もう一人はジャクリーヌ・ササール...何本か映画も見たのだが、特に印象には残らず...ただ「髪の長い少女」の雰囲気が俺には魅力なだけだった。

後年、ササールよりずっと髪の毛が長かったうちの奥さんに惹かれたのは、この好みの延長だったんだろうなあ...

小説の挿絵の仕事の服装や小道具の資料用として、埃の積もった古い「スクリーン」や「映画の友」が何冊もあるけれど、これらも売るほど価値がある訳ではなく、処分するしかないだろうな。



コロナ騒ぎでこの尋常じゃない雰囲気は、こんな断捨離を始めるいい機会だ。
...未練は捨てていかなくちゃな。




さて、次の「燃えるゴミの日」は...

 

 

 
 

(ここに掲載した写真は資料用にスクラップしたもので、たぶん「スクリーン」か「映画の友」に掲載されていたものです。著作権を侵害する様なものでしたらすぐに削除します。)