ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

踏んだり蹴ったりすっ転んだり・・・

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昨日の事だ。
それほど寒い風も吹かず、空は青く晴れ渡り、これは散歩するのに良い天気とばかりに、完全武装の奥さんと共に家を出た。

風が吹き通れば、やはり季節は1月の末...決して暖かい訳ではなく、散歩コースも暖かい日の当たる側を歩こうという事になる。
それで川に沿った通りの、日の当たる細い歩道を歩き始めた。

普段は川の近くを歩いて、こちら側は歩かないのだが...

油断していた。
柵の内側の歩道という事で、周りの景色を見ながらのんびり歩いていて、全く足元は見ていなかった。
突然左足が内側だけ引っかかって、外側が空を踏んだ感じになり、完全にぐるっと内側に捻られてしまった。
「あ、捻挫やっちまった!」と頭の中に赤ランプが灯った。
猛烈な左足首の痛みに右足を一歩前に踏み込んだが・・・次の左足は痛みで痺れて地面につける事が出来ずに、体が前に倒れこむ。
「こんな事で転ぶのか?」「歳をとったから踏ん張れないのか?」なんて言葉が一瞬の頭の中に、「情けないなあ」なんて言葉とともに無数に飛び交う。
それでも、なんとか両手を前に出してすでに100キロ近いコロナ太りの体を支えようとする。
なんとかガッチリと両手で体を支えた、と思った瞬間...痛む左足よりさらに虚列な痛みが両手の平に!
手をついた場所はコンクリートの荒れた歩道の上(よく見ると普段ほとんど人の歩かない歩道は劣化していて、穴だらけの凸凹な状態だった)で、ガリガリに崩れた尖ったコンクリートの上に無数の小石がある状態...その尖ったコンクリートと小石が手の平に食い込んで、左右それぞれ4〜5個くらいの小石が食い込んでいる。
深く食い込んだ小石は皮膚ごと引きちぎって、全ての小石を取り除くと、両手とも血だらけの穴だらけ。
しばらくは左足首の痛みと両手の痛みと痺れで動けなかった。

ちょうど道行く老人にまで心配されて情けないこと限りなし...
それでも間も無く左足の感覚が戻ってきたので、散歩は中止して家に帰り怪我した場所を洗って消毒。

捻挫した左足首は以前やったのと同じ場所だったので、靴下を脱ぐとくるぶしのところが内出血したらしく、グニャグニャとした感触の腫れが自分でもおぞましい。


まったく・・・・今日から2月になるってえのに、なんだってんだ。
ここ数日は目にも花粉を感じるし、世間じゃ武漢肺炎も相変わらずの大流行りだし、去年痛めた右膝もまだまだ捻ると痛みはあるし...そこに持ってきて左足捻挫に両手に穴が空いたって?

 


ああ、人生油断しちゃいけないなあ。

これは、「足元見ないで空ばっかり見ていると、人生そこら中に落とし穴があるんだぜ」って今更ながらの教訓か?

 

最近のユズとの暮らし

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ユズがうちに来て、もう何年になるんだろう。
外見はいつまで経っても、子猫のようなんだけど。

相変わらず、「さわり放題」「噛みつかない」「引っ掻かない」のおとなしい猫のまんまだ。

前にいたパトラの様には、俺の晩酌に付き合ってはくれないけれど...寝る前には必ずビニールの空き袋の上で、使い終わったファクス用紙の芯のボール紙で、満足するまで体を撫でて欲しがる。
気分が良いと、写真のように「ラッコ状態」になる。
あまり気持ち良さそうなので、ユズが満足して寝る支度を始めるまで、俺の晩酌開始はしばらくお預けになる。

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可愛いんだけど...最近困っているのがこの状態。
あまり膝に乗りたがらなかったユズが、最近の寒さで俺が仕事をやっている膝の上に乗りたがる。
膝掛けの代わりに、以前使っていた寝袋を膝にかけて仕事をしているのだが...その寝袋に入って、両手を俺の左の手首に乗せるのがユズの姿勢の安定する「満足な姿勢」らしい。

ところがこの形は、右手でペンを持ち左手でパソコンを操作する俺の仕事スタイルにとって、左手を固定されてしまう「仕事強制停止状態」なのだ。

暇な時にはある程度ユズの満足するくらいは付き合うが、時間に追われている時には丁重にユズの手を外す...すると、急にユズは不機嫌になって俺の顔を見上げる。

猫っていうのは本当に「ツンデレ」な存在だよな。
ユズみたいなおとなしい猫だってまるで誇り高く気の強い女性のように、俺を見て「あなたって、私のいうことが聞けないの?」なんて顔をする。

...まあ、それが猫の一番の魅力なんだけど...


これで散歩が一緒に出来りゃあ言う事無いんだけどな。

なんだか...溜まる日々

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毎日、出来ることと言ったら「散歩」ぐらい。
それに、日々の食事などの買い物を考えて、狭い範囲をあっちに向かったりこっちに向かったりで、平均一日4〜5千歩歩く。
距離は2〜4キロくらいだろうか。

以前はオンボロ自転車でもっと遠い距離を徘徊していたが、運動としては「歩く」方が確実に(運動不足に)効き目があるので、今は自転車はやめて歩くことオンリー。
暖かい季節なら、車で近所の公園や河川敷に行って一本歯下駄で歩くのだが、今の季節は指先が凍傷になるからやらない。

仕事は普通にあるので決まった時間は集中しなくてはならないから、そのためにも「抜く」時間が必要なのだが...
以前なら割と頻繁に、ゴルフを口実に近県のまだ知らない地方によく出かけていたのだが、奥さんが病気になった1年半前からそれをやらなくなった。
そこに武漢肺炎で「外出自粛」が言われるようになって、ますます動きづらくなり、日々をグダグダと流すことが多くなった。

結局今残った「出来る事」は近所の散歩ぐらいなのだが、「歩く」ということの行動範囲は狭いものだから、いくら道を変えても散歩コースはマンネリ化して飽きてくる。
ここは埼玉の地方都市で、...関東平野の真ん中に近いので川や池があっても山は無く、道はほぼ真っ平らで見晴らしのいいところといえば歩道橋の上くらいというツマンナイ地域。

うちの奥さんも俺も東京育ちで、この場所は新婚貧乏イラストレーターの「とりあえずの仮住まい」のつもりだったのに。
「少し稼げるようになったら東京に帰るか房総の海の方にでも住もうか?」だったのに。
あれから...そろそろ50年。
娘はここが故郷になり、俺たちは引っ越す金も元気もない。
結局、ここが終の住処になりそうだ。

...とはいえ、俺は海が好き。
海の見える場所に住むのがずっと夢だった。
子供が小さい頃からずっと25年くらい行き続けた、毎年夏の「根本キャンプ場」の7〜10日ほどのキャンプは、そんな夢を少しでも叶えたいが故の家族行事だった。
それも終わって10年以上、今じゃ海は遥かに遠くなった。
家々と川の土手と、田んぼの間の道を毎日歩く「散歩の時間」...「この向こうが海だったらいいのにな」なんて話を奥さんとするだけ。


「少し歩くと海に出る」...そんな場所に住んでいる人のブログを読んだりすると、羨ましくてたまらない。
車を出せば、2〜3時間で海岸には行けるのだけど...面倒な時代の風が、その距離をどんどん遠ざける。

 


こんな冬の日は...

嘘と真実とフェイクとリアル

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最近描いた仕事の掲載誌が送られて来る度に、「うわあ!」と感じることが多い。
以前のその雑誌が元気だった時代に比べて、重さそのものがあまりに軽いのだ。
それは、「ほとんど半分か?」と感じるくらいのページ数の減少...多分そのほとんどは「広告ページ」の減少で、編集部の作る記事自体はそれほど減ってはいないと思うのだけど。
だが、その薄さは「内容の少なさ」と「その雑誌の衰退=創造エネルギーの衰退」を感じさせて、こういう媒体の消滅の近さが実感となって迫ってくる。

「紙の文化はデジタルの虚像文化に圧倒されて、今や風前の灯」というのが、紙文化で育ってきた我々の認めたくない真実なんだろう。

今や、世の中の出来事の9割以上は、嘘とも本当とも見分けのつかない「デジタル」の波に乗って我々の手元に届く。
そこには確かに様々な意見があって、どれかを見ようとすればちゃんと見ることは出来る。
だが、その色々な意見が、最近はどれも進化した「フェイク技術」に細工をされて、本物と偽物の見分けをつけるのが物凄く難しくなっている。

武漢肺炎の情報も、どんな意見でもお祭り騒ぎにしてしまうマスコミが関われば、「ああ言えばこう言う」「どっちを選んだって、次の日にはその反対意見で大騒ぎ」となる。
そもそも、「あれは大変な病気」だと言う意見と「ただの風邪なんだから大騒ぎするな」と言う基本意見がまだまだネット上には大量にあって、どちらもそれなりに「科学的」なデータがあって...相変わらず混沌としている。

その「なんでもない」派の、デジタル大好きの某大国の大統領は「立つ鳥 後は泥だらけ」って有様のてんやわんやの暴動を引き起こして...
その結果、デジタル上でその暴動を煽ったと言う理由で、大手IT企業がアカウントの永久停止なんて「言論弾圧」をやっちまった。
今や大権力を持つことになった一私企業が、「検閲」をして良いのか悪いのか?
そしてその前に、そもそも大国の代表者が深い考えもなくそういうものを個人的に利用して、誰かを攻撃したり個人の意見(国家の意見ではなく)を言い続ける事が、良いのか悪いのか?
思想や信仰によって、デジタル空間に過激に「他者否定」「他者攻撃」を書き続ける利用者には、どんな制限が必要か?

我々昭和の人間にとって、もともと「デジタル」なんてものは「虚像」であり「虚空に消えていく幻」に過ぎないものだった。
昔は微妙にたどたどしかった「デジタル」が進化して「リアル」に近くなった時、そこには「より真実に近づく」ではなく「より真実から遠ざける嘘」が割合を増して来た...ような気がする。

そもそも、俺はデジタルなんてのは嫌いなんだが、現実の仕事ではデジタルを使ってアナログのような絵を描いている。
デジタルの「嘘」を日頃の仕事に使っている俺に大きな事は言えないのだが...「デジタル空間」の上にある事柄なんて、初めは「みんなフェイクだ!」と覚悟してから参考にした方が良いと思う。

 

特に「美味しそうに見える意見」は、要注意。
嘘の上に甘いフェイクの衣を何重にも被っていると思って...すぐに食いつかずに、とりあえず中身をほじくって見ること...と身に染み込ませておきたい。

「風雲急を告げる」状態なのかしらん...

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検査数自体が増えているんだから当然陽性者数も増えるとは思っていたんだけど、急激な感染者増加にマスコミの煽りも加わって再度の非常事態宣言となった。(と言っても、諸外国の非常事態宣言よりはずっと緩やかなもの)。

あとは、感染源の無自覚無症状感染者の行動制限とワクチンの早期接種が出来るかどうかが結果を分けるんだろうけど...

今更ながらこの「流行り病」の一番怖い所は、人の生き方をぶち壊してしまう事なんだと思う。
もちろん「感染して症状が悪化し、やがて死に至る」ということが最悪の結果であることは承知の上で、この病気の最も恐ろしいのは感染していない全ての人の「今まで生きて来た生き方を続けさせない事」だと偏屈ジジーの俺は思うのだ。
命は大事だけれど、生きて行く一人一人の「人生の時を過ごすスタイル」だって同じくらい大事なんだ、と。

この「自粛」という時間...人は一日一日を「なるべく外出をせず」「人となるべく会わず」を基本として生活することを強制される。
それは、「見知らぬ土地への旅」や、「懐かしい人との歓談」や、「親しい仲間との宴」や「気分転換の友とのカラオケ」や、「楽しみの買い物」や、その他無数の「刺激的な出会い」の全てが否定され悪とされる生活なのだ。
人は、他の人との接触を避けて「今日も無事だった」だけを考えて時間をやり過ごさなくちゃならない。
気がついたら一週間が過ぎて、気がついたら一ヶ月が過ぎた、ああ、もう一年が過ぎた...なんて事が一番大事なのだ。

...しかし、武漢肺炎で死ぬことと、ただ寿命が来るまでじっと何もしないで誰とも会わずに閉じこもっている事と...どっちが酷い事なのか?

マスクは、以前から花粉症だったので春先の数ヶ月し続けるのは慣れている。
学生時代から一人が普通だったので、別に友人や仲間といつも一緒に居たり、連れ立って遊ぶなんてのは多くなかったから、集まって誰かと騒がない事というのも別に平気。
だけど、たまには旨い酒とツマミのある居酒屋には行きたいし、下手くそなカラオケだってやりたいし、何より一週間に一度は車でちょっと遠くに旅に行きたい。
それらは、俺にとっては小さな事だけど「生きる」ために必要で大事なイベントなのだ。

それらを全て無しにして、ただただカレンダーのページを毎日破くことだけでは「生きている」なんて、とても言えない。

このどん詰まりの状況を変えられるのは多分ワクチンしかないんだろうけど、その接種状況の進展は遅い。
病み上がりのうちの奥さんのためにも、もちろん当座は真面目に自粛に取り組んで、ひたすら肺炎の収まるのを待つつもりだけれど...ただただ「何もしない日」を積み重ねるだけのこんな時間は、なるべく短くしたいもの。

多分その辺にもう普通に飛んでいるはずの「武漢肺炎ウィルス」に運悪く遭遇しないように、ただ出会わない運を信じて「ワクチン接種」のその日まで、我慢我慢の日は続く...んだろうなぁ。

これを読んでくれている皆さんにも、どうかウィルスに出会わない「幸運」を。

半年近くやれないだろうけど...

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膝の状態が全く良くならない。
座っている状態から立つ時に、ちょっとでも「膝をひねる」動きが入ると、「うわ!」って声が出るくらいに激痛が走る。
まっすぐに曲げる動きでは痛くないのだが、ちょっとでも捻ると痛いのだ。
毎日続けている散歩には膝を捻らない様に固定するサポーターをつけているけど、これではゴルフスイングの様な動きは出来ないだろう。

参ったのは参ったけど、「やれる状態」で我慢するんじゃなくて「とてもやれそうにない」んだから諦めも付くってもんだよな。

しかし...だからこそ、かな...ちょっと時間が空いた時に、ヒッコリークラブをあれこれ触りたくなってくる。
写真の4本のクラブは、去年の9月から10月・11月の9連続ヒッコリーラウンドで「不動のレギュラー」だった4本。
パターは、普通のヒッコリーシャフトのパターでは持病のイップスが酷くなってゴルフをやる気さえ無くす状態を救ってくれた、松村博士特製のパター。
パーシモンのドライバーのブロックを削り、ウッド用の長いシャフトを使ってヒッコリーシャフトの長尺パターを作ってくれた。
俺には、「これ以外のパターは考えられない」唯一無二のパターとなった。
...ゴルフやれる限り浮気することは無いだろう。

2本目はタッド・モアの「現代物」のクリーク、つまり今風なら五番ウッド。
俺にはティーショットから130yまでの、パターに次いで二番目に使用頻度の高いクラブだ。
たまに「頭叩き病」が発生するが、それ以外はほぼ中・長距離の万能クラブになる。

3番目は100yまでの距離に使うマッシー・ニブリック。
4番目がいわゆるウェッジ役のニブリック...どちらもヘッドの裏面にパイプマークが入っているT・スチュワートの純鉄クラブ。
マッシー・ニブリックは他にも数本あるのだが、これが一番俺には成功率が高い。
ただし、他のクラブに比べて総重量が軽いので、気を抜くとトップする。
今のところ、これでピンに寄せてのバーディーが一番多い。

ニブリックは、ともかくちゃんと当たった時の感触が気持ちいい。
昔の(腐った)糸巻きボールで、まるでフェースに吸い付くような感触が残る。
使っているとサビのついた黒いフェース面が、だんだん磨かれてきてまるで日本刀のような輝きを見せてくるのが美しい。
...ただし、このアイアン2本には後年ジーン・サラゼンが発明した「バンス」がついていない。
つまり「滑らせて使う」ことは俺には出来ない(上手い人なら出来るのかもしれないが)。
短いアプローチでも「すべて上からガツン」だから、結構距離感が難しい。
まして、柔らかい砂のバンカーなんつったら「死ぬほど難しい!」。
なので、俺はバンカーだけはバンスのついている現代物のタッド・モアのニブリックを使っている。

堅い砂ならなんとか出るけど、柔らかい軽い砂だと「砂に切れ目が入るだけ」で、全くボールが飛ばないのを経験してから...降参して妥協した(笑)。

 

気温が低くて風が冷たく、おまけに膝が痛くて、とても実際のプレーなんて出来ない日々に、ジジーゴルファーはこうして百年昔のヒッコリークラブを触りながら暖かい季節のゴルフの夢を見ている...って絵面だ。


こういう時間の過ごし方は、かって夏坂健氏の書いた「アームチェアーゴルフの勧め」と同じような高尚なゴルフ趣味の一つと言える。
(俺には「灯し火近く絹縫う母は〜」なんて歌の「ハ〜ルノ ア〜ソビ〜ノ タ〜ノシ〜サ カ〜タラン〜」なんてレベルなんだけどね)。

外は寒い。
武漢肺炎は収まる気配を見せず、凍える冬はまだまだ続く。

いい一年にしたいよね

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あけましておめでとう。

去年はひたすら耐えて・我慢して・自粛した一年だった。
もう、あんなネズミ年なんて糞食らえ、だ。

今日から丑年、もう6回り目の俺の干支。
膝は痛えし不整脈は出るし腹は出るし、記憶力も気力も根気も無くなる一方だけど、生きてるうちはまだジタバタしながら負けられない。

世間は悪疫と不景気の雲に覆われて、先の景色なんか見えやしない。
モノを作らない金持ちが目の付け所次第で要領良く大金を稼ぎ、地味にモノを作る人々がどんどん貧乏になって行くこんな世の中が、正しいわけ無いと思い続けて数十年...なんとかしたいがなんともできない俗物の悲しみが身に沁みる。
今年こそ、そんな世界を変えてみたいと毎年思っているんだけれど。

実際自分で出来るのは、まずは自分を含めて身内の病気の治癒と疫病予防。
ワクチンがちゃんと接種されて、効くのを確かめるまでは気を緩めない。
以前と同じように遊ぶのは、もうしばらくの我慢と忍耐。
一人夜中の晩酌で心の憂さは軽くして...

旅も遠くへはまだ無理だろう。
オンボロキャンピングカーよ、お前も我慢と忍耐でおとなしく自粛していろよ。
夏が過ぎる頃には、ちょっと遠い旅に行けるかも知れないからな。

球打ちながら、フェアウェイを歩いて風を感じ、十九番ホールで歌でも歌いながら語り合う日々はまだまだ遠い。
遠い初めての土地で温泉に入り、翌日の球打ちラウンドを夢見て旨い酒を飲むなんて時間は、今じゃ究極の贅沢な夢だ。


...疫病の雲が覆いかぶさって来ていても、それでも毎朝日は昇る。
同じ時代を生きて来た同輩たちよ、俺たちはもう「ご褒美の時間」を生きているみたいなもの。
あちこち痛いのも調子が悪いのも、不器用に生きて来た俺たち庶民の名誉の負傷だ。
この「おまけの時間」、お互いに行き倒れるまで精一杯楽しみましょうや。


今年もよろしく。

どうか、皆様にも良い一年になりますように。