ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

タイガーの復活

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タイガー・ウッズが五年ぶりの復活優勝...通算80勝を挙げた。

タイガーが1994年から全米アマを3連勝して、プロデビューしたのが1996年。
その1996年のラスベガスインビテーショナルで初優勝を遂げ、さらにもう1勝。
そして1997年にマスターズでメジャー初優勝、この年に賞金王と世界ランク1位を獲得して長い「タイガー時代」が始まった。

俺は始めはタイガーを応援していた。
既成の白人主体の古いプロゴルフの世界を、有色人種それも黒人と黄色人種の混血であるタイガーが真正面からぶち壊して勝ち上がっていくのを見るのは実に痛快だった。
それまでプロゴルファーといえば、若い新人以外はほとんど腹の出たおよそ「プロスポーツ選手」に見えない体型の人間が多かった...その中で、他のプロスポーツでも十分通用するくらいに鍛え上げた体型のタイガーが勝ち続けるのは、今考えると当たり前の事だった。
それまで「飛ばし屋」と呼ばれていた白人のゴルファーのドライバーショットを、タイガーは3wで軽く越えていった。

他の人はどう思っているか知らないが、俺はタイガーの強さはその飛距離とパットの上手さにあると思っている。
全盛期にはその飛距離は圧倒的だったし、ここぞという勝負パットは10mだろうが20mだろうがほぼ沈めて見せた。
ニクラス程のショットの安定感は無かったから、アプローチにも慣れていてトラブルショットが上手かった。

タイガーの「翳り」は、道具とボールの進化(プラス、プロの思考の変化により、皆が身体を鍛える様になって来た)により「飛ばし屋じゃないプロほど飛ぶ様になった」事だと俺は思っている。
それまでは軽く打っても他のプロを圧倒していた飛距離が、差がだんだん無くなって来た。
それまで50y以上軽くあった飛距離の差が、飛ばし屋でもないプロでも30y・20yの差へと迫って来た。

タイガーのスイングを全盛期には評論家達は絶賛していたが、俺は「あんなスイングは素人には全く参考にならない」と思っていた...それを業界では誰に言っても笑われたが。
何しろインパクトが強すぎるのだ...そのインパクトが強すぎるために、背中から腰・膝に強烈な負担がかかる。
いくら鍛えていても、筋肉は強化できるが関節は磨り減るだけなのだ。
タイガーのスイングのイラストを「理想的なスイング」として描かなければならない事は酷いストレスだった(今でも、ね)。

そしてタイガーのファンだった俺は、押しも押されもせぬ「チャンピオン」になったタイガーのプレーぶりがだんだん気に入らなくなった。
同伴競技者を恫喝するようなガッツポーズや、ミスした時の不愉快そのものという表情や態度、トラブルの時の時間をかけ過ぎて平気な態度、ギャラリーの大騒ぎを更に煽り立てる言動...どれも「風格」というものに程遠いプレー態度と感じた。

「挑戦者」の時ならいい、しかし「王者」となったらそれに相応しいプレー態度で居て欲しい。
そう考えている俺には、その後のタイガーの在り様はもう「倒すべき悪の帝王」にしか見えなくなってしまった。

それから長い時間が経って、「やっぱり」という故障が続き、ゴシップにまみれ、イップスまでも経験して、「飛距離」も「パット」も錆び付いてしまった。
タイガーの時代は終わり、新しく若い勢力が新しい時代を席巻する。

かってどれほど力があったとしても、それは終わった昔の話。
すでに老いて力を失いつつある者の抵抗は、いつだってみっともなく破れて滅び消え去って行くのが世の習い。
(ジジー達はそうして「諦め」を貯めて行く)


しかし、故障を治療で乗り越え、イップスを克服し、新たな闘争心で臨む「老いた帝王」タイガー・ウッズは、ついに復活を果たした。
これがいつまで続くかはわからないが、「復活したタイガー」には今までにはない魅力がある。
そして、そんなタイガーを見れば「願わくば滅びつつある俺にも、そんな奇跡の復活を!」と、ギャラリー達もまた夢を見られるだろう。


「落日を感じる者」の復活は、どんな時でも美しい。

同じく「落日の庶民ゴルフ」界も、少しは明るくなる筈だ。