ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み(イラストレーター渡辺隆司のブログ)

なるようにしかならないけど、それが人生...せめて酒に唄って行きますか

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世間じゃあ、「苦労する程味が出る」なんて言うけれど...ありゃあどうなんだろうね。

オレなんか貧乏人の出だから(自慢じゃないが今だって貧乏人だ!)判るんだけど、苦労ってのは良い味になるとは絶対に限らないんだよね。
今迄知り合って来た人間のうち、「この人は根っからのいい人なんだなあ」なんて感じた人は、ほぼ全員いい所の出で経済的に恵まれていて、生活の苦労なんて味わった事が無いんじゃないかって人ばかりだった。

大体「生活の苦労」ってのは、幼い頃から弱肉強食の世界を体験させられ、油断すれば足元を掬われ、「人が良い」と言う事が「馬鹿の代名詞」に使われる世界で、生き続ける苦労の事だ。
この世界を経験し続けて、捻くれた性格にならない事は難しい...「苦労」は人を作るより壊す事の方が多いんだ(もちろん、中には少数だけど神様の様な人物も居るんだけれどね)。
その世界を、勉強ができた事を武器にのし上がって行った男の代表が、某公私混同都知事のような「品性無き成功者」って訳だから、人間てのは切ないもんだ。
苦労すれば味が出るって言ったって...その苦労が人を押しのけ、どんな手を使ってもいいから競争を勝ち抜こう、なんて意味の苦労だったら...品格のある「いい味」なんかになる訳は無いんだよね。


そして、そんな戦いに負け続けたオレのような俗物は、「諦める事」が積み重なって「味」になるって世間は言う。
しかし、しかし、そんな「諦め」が積み重なった味なんて、いくら積み重ねたって「出汁の効いた」良い味になんかなるわきゃないんだ。
せいぜい積み重なったオレの「味」なんて、「苦さ」と「酸っぱさ」と口がひん曲がる「渋さ」を足した、賞味期限切れの缶詰の味ぐらい。


...いい年になって、しみじみ考える。
せめて、酒の肴になるくらいの「人生の味」がオレについてれば...
せめて、「ほろ苦さ」程度の味に薄まっていてくれたなら...

諦める事が今日も一つ。
これを、積み重ねて、発酵させて、じっくり寝かして....

オレにも少しはいい味がつくように、今夜も安酒で「諦めの酒」をもう一杯。